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あれから1年-SURL来日期間を振り返って。


今日は11月26日。
昨年韓国のバンド SURLの来日公演を開催してからあっという間に1年が経ちました。

思えば開催に先立っての文章は書いていたものの、振り返ることをしていなかったので、改めて思い出しながら残してみようと思います。
※開催に先立っての文章はコチラです >>http://mights.tokyo/20191126/document.html

ー11.25(Mon) SURL来日

SURL一行が空港に到着するのは午前10時ごろ。
レンタカーのハイエースを受け取り、通訳のウンジさんとともに羽田空港へ向かいました。

ちなみにですが、通訳を引き受けてくれたイ・ウンジさんは吉本興業所属の芸人さんで、当時はピンで活動していましたがいまは「すまいるチョンサ」というコンビで活動していますのでぜひそちらもチェックしてみてください。>>イ・ウンジさんInstagram

ちょっとしたことだと、羽田の駐車場の入口がわからずターミナルの周り3周くらいしましたが‥、その後無事駐車場に車を停めて到着ゲートへ。VISAも取得していたし密に連絡も取り合っていたとは言え、やっぱり到着ゲートでメンバー一行と合流するまではドキドキでした。

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彼らとは7月に韓国で会って以来でした。
あとで聞いたら5人はほぼ徹夜で飛行機に乗ったみたいで、そう思って顔をみるとやはり疲れも見て取れますね。前日が彼らにとって韓国でも初めてのワンマンライブだったので、そのまま明け方に空港に向かったとのことでした。承知の上で組んだ日程とはいえ、申し訳ない気持ちがあります。

合流後、予定されていた取材まで時間があったので楽器がみたいという彼らのリクエストを受け御茶ノ水周辺へ向かいました。

ミョンソク(D)がシンバルを、ドヨン(Gt)がエフェクターをみたいと言うので二手に別れ、ミョンソク(D)・マネージャー・通訳のウンジさん班はドラム専門店へ、ドヨン(Gt)・ホスン(Vo, Gt)・ハンビン(Ba)・自分はエフェクター専門店へいくことに。
ドヨン、ホスン、ハンビンの3人とは主に英語でコミュニケーションをとっていました。特にホスンが日本語より英語の方が堪能のようで、自分の英語はもちろん拙いですがそれでも前日のワンマンライブの様子などを話しながら歩いたような気がします。
日本に来たことも、レーベルの旅行で沖縄には行ったことはあったようですが、東京に来るのは初めてとのことでした。

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その後取材のために六本木まで。ここで、ドキュメンタリー映像を撮影いただいたmaxillaチームとも合流しDIGLE MAGAZINEさんの取材に臨みました。

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このときインタビューいただいた記事は↓。ぜひこちらも見てみてください。
■国境も世代も関係ない。共感を語りかける韓国バンド・SURLが来た道のりとは >>https://mag.digle.tokyo/interview/topics/63083

取材が終わる頃には日も暮れ始めていたので、ここから滞在中宿泊する民宿THISTIMEへ向かいました。今回宿もそうですがVISAの取得もTHISTIME Recordsさんに手配いただいたので、THISTIMEさんなしでは実現不可能でした。感謝しかありません。

ただ、ここの六本木からの車移動がちょうどピークタイムともぶつかってしまってとにかく時間がかかってしまい‥、ただでさえ寝不足・疲労のある彼らには申し訳なかったですね。

無事宿にも到着し、この日は夕食を食べて別れ、明日に備えてもらいました。

ー11.26(Tue)SURL初来日公演当日

民宿THISTIMEでSURL一行とmaxillaチームと合流し、ライブ前に下北沢近辺を散策することにしました。CHICAGOで古着をみたりディスクユニオンでアナログを掘ったり。ハンビン(Ba)が2枚アナログを買ってましたね(誰を買ったか忘れちゃいました、、)。

彼らの所属するレーベルHAPPY ROBOT RECORDSは韓国のインディーシーンの中心地・弘大(ホンデ)という場所にあるんですが、そこは音楽に加えアートやファッション、カフェなどとにかく韓国のカルチャーシーンを知るには外せない街のようなんです。

(参考)
韓国インディーズバンドの聖地・弘大(ホンデ)のおすすめライブハウス(HereNow)
【Column】K-Indieの聖地・弘大とは?(BUZZY ROOTS)

下北沢も正にそういった街ですし、やっぱり似合ってましたね。時間が許せばもっともっといろいろ回りたかった。

昼食を食べると、いよいよ新代田FEVERへin。
ここでまたちょっとしたことですが‥、彼らを降ろした後FEVERの地下駐車場に車を停める予定だったんですが、地下駐車場への坂の傾斜が厳しくレンタカーはやめておいた方がいいとのことで急遽近くのコインパーキングへ停めることに。そのときFEVERの奥のT字路(めっちゃ狭い‥!)で標識の柱とゼロ距離接触する(いやしてない)ことがありました。めちゃくちゃ焦りましたね。静か〜にまっすぐ下がって切り返して難を逃れましたが。汗かきました。

そしてもうひとつ問題が。彼らがシールドを持参していなかったことがわかったんです。
完全に自分の確認漏れだったんですが、マネージャー曰く韓国ではシールド類はハコのものを使うことが一般的らしくアーティストは持って入らない、とのことだったんです。
「シールドは持参するだろう」という日本の当たり前の感覚で考えていたため、事前に細かくまで確認できずめちゃくちゃ反省しました。電圧のことは意識していたんですが。

幸いFEVERさんにお借りできて事なきを得たものの、終わった後もマネージャーと「あのときはめちゃくちゃ焦った」とお互いに話していました。

なんとかリハも終えるとSpecial Guest Actとして出演いただいたミツメのみなさんとも挨拶させていただき、後は本番を待つのみ。
ロビーには日本のファンはもちろん韓国から来てくれたファンの姿も。メンバーもロビーで顔を見て驚いてましたね。

ライブの模様はぜひDIGLE MAGAZINEさんのライブレポートや公式サイトのフォトレポートも見てみてください。
>>DIGLE MAGAZINE ※インタビューの下にライブレポートがあります
>>mightsフォトレポート

ぜひ当日のセトリプレイリストも。↓↓
>>SET LIST"SURL 1st JAPAN LIVE" 2019.11.26

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*Photo by fukumaru


終演後、ありがたいことにたくさんの関係者の方にも残っていただきSURLのメンバーとも挨拶させていただきました。

終演後はSURL一行と今回の来日公演に協力してくれたオノツトムとようやくの打ち上げへ。
SURLの4人はあまりお酒が強くないみたいで、たしかドヨンはコーラを飲んでいたしハンビンはビールを飲んでいたけど早々に目がトロンとしていました。この時点ではマネージャーさんが今年プライベートで東京に来る予定があり、ぜひそのときも飲もう!と話をしていたんですが、コロナ禍で来日自体が難しい状況になってしまいました。今年は残念でしたが、また機会があったらうれしいです。落ち着いたら韓国にもいきたい。

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改めて見るとハンビンの目が明らかにすわってますねw

一行を宿に送り届けてから自分は帰宅したんですが、自宅近くのコインパーキングに着いたのはたぶん3時くらい‥だったと思います。
ありがたいことにたくさんの友人がライブに来てくれていたんですが、ライブ〜打ち上げ〜宿へ送り届けとずっと続いていたので、車を停めてからようやくみんなのSNSに返信ができたという感じでした。この日はとにかくあっという間でしたね。

ー11.27(Wed)SURL帰国

この日も宿まで車で向かい、一行と合流。

この日もメンバーが楽器をみたいとのことで新宿へいくことにしました。
ミョンソクは引き続きシンバルを探し、Voのホスンは次に予定されていたタイのライブに向けて電圧が変えられる電源を購入していました。
ハンビンは目当てのエフェクターがあったんですが、それがレアもののようで、新宿をまわった後マネージャーと2人で高田馬場まで電車で探しにもいっていたんですがやはり見つからなかったようです。

その後ドラッグストアに寄りたいとのことだったので近くに見つけて立ち寄ると、ミョンソクが蒟蒻ゼリーを大量にカゴの中へ。彼の家族がすごく好きで、特におばあちゃんが蒟蒻ゼリーが大好きなんだとか。韓国でももちろん売っているらしいんですが、「味がたくさんある」とのことで大量に買っていました。

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タワーレコードにも行きましたね。
目当ては10FのTOWER VINYLで、ここでもハンビンが(エフェクターが見つからなかった鬱憤を晴らすように)ガンガンにDigっていました。たしかここでも買ってた気がします。

買い物もひと段落し時間もいい頃合いになったので、お寿司を食べてから羽田空港へ。

無事空港まで辿り着き、彼らと別れ3日間の行程は全て終了しました。

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maxillaによるドキュメンタリーMV[↓]や

Vlog[↓]も公開されているので、ぜひそちらもご覧ください。


あれから1年。

"あっという間"という訳ではなかったですが、それでも気を抜くと時間はすぐに経ってしまうなあと思いますね。
幸いSURLのライブで出会った人やそこから繋がったこともあり、今年は少しずつ自分にとって新しいことができていたりもします。まさかTOKYO FMに出演させてもらうこともあるなんて。改めてSURLはじめ関わってくれた方々に感謝です。


まだまだいろいろとやってみたいことが沢山です。






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