98. 華麗な革命/ヨーロピアン・モード 【ファッション】
先日、ロココと新古典主義についての記事を書きました。
ここで言っている「18世紀フランスのファッションについての本」というのが、今回フィーチャーする「華麗な革命」なのです。
これは1989年に京都国立近代美術館で開催された展覧会の図録で、ロココから新古典主義までのフランスの服飾の変遷をまとめたものになっています。
ロココと新古典主義の概要については以前の記事に目を通していただくこととして、今回は特にその頃のファッションの概要と、図録を読んで思ったことなどをまとめておこうと思います。
また、この間文化学園服飾博物館で開催されていたヨーロピアン・モード展を見に行ったら、この時代の服もいくつか展示されていたので、その感想も合わせて書いておきます。
ロココから新古典主義へのファッションの移り変わりは、丁度三人の女性が体現しています。そしてもちろん、フランスの内政とも深く関わっています。
・ポンパドゥール夫人
ルイ15世の公妾。ロココを流行させた張本人。
流行し出した頃フランスは比較的平和で、庶民も貧しいとはいえ不満が爆発するほどではなかった。
ドレスは左右に張り出していて、ウエストは細く締め付けられている。
ロココ美術がごてごてしているのと同じように、レース・リボン・造花・宝石などの豊富な飾りがついている。
ドレスの柄に多いのは縦縞と小花柄の組み合わせ。
(縦縞は異国趣味の現れである。中華刺繍をアップリケ的に使ったドレスがあったり、扇などには異国風の絵をそのまま使ったものも。)
・マリー・アントワネット
ロココから新古典主義へ移行する過渡期。ルイ16世の王妃。
言わずと知れた、浪費家で断頭台の露と消えた人。
公的な場では形骸化したロココの、装飾過多なドレスと、どんどん高くなる髪型を。
プライベートでは、薄い絹から作ったシュミーズ・ドレスを愛用。
秩序を重んじる新古典主義は自然へ帰れと説くルソーの思想や革命の精神にも合っており、貴族文化ロココとは対置される関係である。しかし新古典主義のファッションは最初は王侯貴族から、というのが皮肉だし、流行後も一庶民の服というよりはある程度お金のある人向けの服という印象です。(ドレスの素材が絹から木綿へ変わったが、木綿はイギリスから輸入しなければならずお金がかさんだ。)
・ジョゼフィーヌ
ナポレオンの妻。これまではダリア好きの印象しかなかったのですが、ばっちり新古典主義ブームの只中の人。
新古典主義のドレス=エンパイア・スタイルが流行。
異常に高いウエスト・木綿生地・体に沿うデザインが特徴的なドレスで、コルセットも着けないことも。
また、マムルーク袖など異国趣味かつ軍服から流用されたデザインも採用されている。
ドレスの上にカシミアのショールを羽織ったが、パリの冬は寒くて肺炎で何人も死んだ。(この話は以前もどこかのファッション回で書いた気がする)
前にも触れた通り、新古典主義の服=革命精神を表す服とかではなく、単なる新しい美的感覚として流行したファッションの形である。
ロココから新古典主義へはばっと変わったわけではなく、何度も揺り戻しがありながら変わっていったし、その後のナポレオン帝政下ではまたドレスがコルセット入りの大仰なものへと戻っていった。(しかも、木綿の輸入で財政難になり、国内絹産業を保護する狙いもあって宮廷では絹のドレスの着用が義務とされた)
ロココ時代の服(ローブ・ア・ラ・フランセーズ)は着るのがとても大変そうです。ストマッカー(胸当て)・ペチコート・ローブの3つの部分から成っていて、それぞれを身につけてピンで留めたりして形を作っていたのだそうです。
ベルばらなんかを読んできらびやかな衣装に憧れた時代もありましたが、ああいう完成された格好になるためには、服を着るだけで途方もない時間がかかっているのだと実感しました。
また、古い時代の服は、縫製技術が発達していないので大きな布を沢山プリーツを寄せたりして着ていたのが、段々体にフィットした形に仕上げられるようになっていくのですが、形が洗練されていくのが写真でも分かるのが面白かったです。
この頃は男性の服アビ・ア・ラ・フランセーズにも豪華な刺繍が施されていて、見目麗しいです。
一方のエンパイア・スタイルはあまりにもウエストが高すぎて違和感があります。素材や雰囲気は好きなのに、どうにもしっくりこない……。
古代ギリシアを着想源としていながら縫製に手の込んだ「洋服」感があるのがその原因かなと思います。
マリアノ・フォルチュニの記事で触れましたが、ポール・ポワレはこの時代のファッションに影響を受けているらしいので、ポワレの服にピンとこないのも納得。
ヨーロピアン・モード展では時代順にファッションの変遷を辿れるようになっていて、以上のようなドレスの印象を再確認しました。またその頃写真で見ていたものを実際に間近に見ることができたので、質感やディテールを知ることができたのも良かったです。
自分がいわゆるドレス(コルセットを着けてウエストを絞り、裾の広がったスタイル)を着たいとは全く思わないこともつくづく分かりました。どれか選べと言われたら、クラシカルでなるべく凝ったことをしていないのが良い。
余談ですが今回の展示ではマリアノ・フォルチュニのデルフォスが2着展示されていました。生フォルチュニは会場の中でずば抜けて美しく、見られて本当によかった、
なぜプリーツが保てているのか不思議なほど繊細な生地でした。
いずれマドレーヌ・ヴィオネの服にもこうして不意にお目にかかりたい。
以下、図録を読んで気になったことなど箇条書き的に書いておきます。
貴族の方々にも、ドレスへの莫大な出費はなかなか痛かったようで、ドレスの流行に合わせて何度も縫い直した跡があったり、裾が傷んだら短く切って上着風に着たりしていたそうです。お金持ちにもお金持ちなりの節約術があったんだなあとちょっと感心。そもそもそんなにドレス作らなくても良いのに、とは思うけれど、人間味溢れるエピソードでくすっと笑えてしまいました。
キュレーターの方のコメントで「絵画や文学から当時のコーディネートを読み取り、残っている素材を使って再現する」とあり、これまで見た目の美しさばかり重視し絵画をそういう目線で見たことがなかったので、そんな見方もあるんだ! と目から鱗です。
絵画鑑賞の楽しみがひとつ増えた気分です。
「華麗な革命」の主催の京都服飾文化研究財団は、フリーペーパー「服をめぐる」を定期的に出しています。今回はこのフリーペーパーに載っていたこと(マネキンへのこだわりやドレスにつけるポケット、パイナップル型のかばんなど)とリンクする点が多く、そこも楽しかったです。
文化学園服飾博物館のHPに、アイロンすると生地が傷むから、シワはそのままに、なるべく目立たないように展示している、と書かれていました。展示に注目してみると、確かにシワの寄っている服がちょいちょいあります。また「華麗な革命」の写真にも結構写り込んでいました。
普段何気なくしていることが服を傷つけていくんだなあとはっとさせられました。
古いものを保存する活動を考えた時に必ずぶつかる、朽ちていくものを無理に保護する必要と意味について、ここでも考えさせられました。
ロココ、新古典主義の服は、文化学園服飾博物館やKCIのデータベースで見ることができるので、興味のある方はそちらもどうぞ。
今は、ロココの前に流行ったビザール様式にも興味があります。
次のファッション回は何について書くかまだ決めていませんが、中世の服も未知の世界ですし、色々と広く学んでいきたいところです。
ではまた。