恋するアナロジー
いつの頃からは知らないが、11月11日は『ポッキーの日』だ、ということらしい。わたしが子供の頃には、そういったものはまだ無かったように記憶しているが、1が4つ並んだ様子をポッキーに見立てて、のことのようだ。通例こうした記念日というものは、読みから、いわゆる語呂合わせで定まっているものが多い。11月22日は『いい夫婦の日』、8月8日はパチパチという音で『そろばんの日』といったようにだ。他にも5月4日はスターウォーズの日であるようだ。"May the force be with you(フォースとともにあらんことを)"という作中のセリフに合わせて、”May the 4th”ということらしい。
11月11日が『ポッキーの日』というのがここまで人口に膾炙してきたのは、形を見立てている、ということの面白さもあるのではないか。そう思い、形を見立てた記念日は他にはないのだろうか、と調べてみると、7月7日『ポニーテールの日』というのを見つけた。かなり無理があるのではないか、そして記念日にしてなんの意味があるのか、とは思うが、7という字がポニーテールのように見える、ということのようだ。様々なことを考えつくものだ。
こうしたアナロジーを見出す行為は様々な分野で行われている。物理学者としても化学者としても著名であるマイケル・ファラデー(1791〜1867)は流体力学の理論を電磁気学へと文字通り”流用”し、電磁場の基本的な理論を構築した。電磁気とは液体のように動くのではないか、という直観的な発見が、ファラデーの法則やマクスウェル方程式を生み出す源泉となった。さらにもっと根本的なことを言えば、数字もまた、現実に存在している物体をアナロジー的に記述したものである。現実にあるものを数字で表すことによって一般的な計算が可能になった。自然科学に限った話ではない。連綿と続く文学の歴史の中で、人間は降りしきる雨に自分の心情を重ね、散りゆく桜に自分の生命を重ねる。自分の姿を一匹の蜂に宿らせ、路傍の石に自らを見る。
電磁気と流体が全く同一のものではないように、数字という抽象記号と現実の物体も同一のものではない。私と雨や桜のような自然現象や自然環境も当然同一ではない。しかしこうした差異を乗り越えて、同類項を見つけ出していくことが、人類の進歩を推し進めてきたのである。違いに目をつぶり、共通部分を見つけ、相互補完的に捉えていくことで、発展したきた歴史がある。ちがうちがうと言っていては、具体的な個別的なものに留まってしまい、一般化の恩恵に預かれない。同じ部分を見つけてそれを尊ぶことが重要なのだ。それはさながら恋愛のようだ。入り口は共通の趣味や興味から、そうして徐々にお互いの違いを尊重し合うようになっていく。対象を想い、相手を想い、なんとかして同じところを探そう、とさながら思春期の乙女のように観察することが、なんと我々にとって重要なことか。相手に恋をすることが人類の発展につながるのだ。
11月11日をポッキーと見立てる近似的行為が莫大な経済効果を生んだように、アナロジーには大きな力が潜んでいる。恋をするようにアナロジーを見つければ、簡素な11をポッキーに変え、みどりの日を緑の小さい宇宙人に出会える日に変えてしまう魔法が手に入るかもしれない。