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05「高校卒業までに、好きな科目を全部で〇〇単位取って卒業してね」という自由な制度に放り込まれた結果
「0⇒1の元・引きこもり主婦 ~見知らぬ土地で友人0、親戚0の引きこもり育児から友達1800人作って3人の子を産み、起業する一人の30代主婦の話」
第5話です。
人口4万人の田舎から、カナダの中高一貫校へと留学した話のつづきです。
英検準2級レベルで現地の中高一貫校に飛び込んだ
私は3歳から英語を習い始めて、神戸から丹波篠山へ移住した後も塾に通い、アメリカ人の先生とグループワークをしたり、とにかく「英語で会話を行う」という作業を行っていました。
とは言え、勉強はあまり得意な方ではなかったので・・・高校3年生の頃で英検準2級のレベルでした。多分、日常会話はおおむね問題ない感じだったと思います。
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けれども、現地の「授業」というのに付いていくのは本当に大変で、とにかく「今教科書のどこを開いているのか分からない」「英語しか勉強してなかったので、数学とかになると全く聞いたことのない単語が出てくる」
みたいな状況で、
初めの方は全く授業でも発言ができず、とにかく頭の中が毎日パニックで、夜も脳が刺激でぐるぐる回って眠れない、みたいな日々でした。
でも人の適応能力ってすごいのが、2週間くらいしたら段々と耳が慣れてきて、聞き慣れる事によって口からも自然と英語が出てくる。
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そんな事を繰り返していくうちに、だんだんと気持ちも前向きになってきて、「とにかく吸収できるものは全部吸収して帰ってやるんだ」と、
「絶対日本人に会っても日本語はしゃべらない」とか、マイルールを作って勉強していました。
前期・後期で授業も選択制なのですが、
1番面白かったのは、美術の授業と被服の授業と社会学と地理学でした。
被服の授業なんて、始業のチャイムが鳴り終わったと思ったら、
「はい。では、どうぞ」
と先生は1言発するだけ。
90分、好きな事をして、好きな道具を使って好きな服を創ることができるんです。
日本のように、「みんなで一緒にこれをやりましょう」と概念はこの授業にはありませんでした。
生徒はそれぞれ作りたい物の生地と型紙を手芸やさんで買ってきます。私もベビー服から大人のドレスまで、色々なものを作りました。
地理学はアメリカの州を覚えたり、(日本でいう47都道府県)社会学では哲学を学んだり、英語の授業ではシェイクスピアを電子辞書を駆使してなんとか乗り越えました。(日本でいう枕草子的な感じで、とにかく言い回しがややこしい。)
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冬になると陸上部ができるので、なぜか市の大会で勝って州大会へ行ったりしました。1日で日本の2日分走るので、びっくりしました。(たしか800・マイルリレー・3000とかを1日で走った気がする。)
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そこでも面白かったのが、競技場用のスパイクが全員、使いまわしで。(笑)先生が、どっさり真っ黒のスパイクを何足も出して、それぞれサイズが合うものがあったらそれを履く、みたいな。
日本のように道具にこだわらず、走れる人は何を履いても早いんだな~と、
思いました。
思い出の「BAND」
あとは部活動で1番の笑い話が、「BAND」という部があって、日本でいう「バンド」だと思って打楽器が出来る!ロックが弾ける!と思って行ったらがっつり【吹奏楽部】でした。(笑)
そもそも、「ドレミファソラシド」で育った私。英語の楽譜がまったく読めません。笑
「打楽器できるの!?」とか言ってティンパニー担当にさせられましたが、2日でやめました。(笑)今となっては無知が呼んだ面白体験で笑い話です。
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帰国の日が近づく
約10か月間のあいだ勉強し、色んな国のルーツをもつ友人との出会いを集めて、いよいよ帰国の時期になりました。
たしか、「1年で9単位取得でOK」とかだったかと思うのですが、私はその1.5倍くらいの単位を取って、しかも被服に関してはなぜか成績1位というバカみたいな結果を残して、帰国するのでした。
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これは私の感覚なのですが、カナダの人はとにかく「他人のことを色々言ってる」気がします。すれ違っただけでも『今のあの人、〇〇じゃない?』みたいな感じで。とにかく他人への興味が大きい。ゴシップ好きというか、それがクセみたいに沁みついているような。そこに特に悪意はないのですが。
あとは、「いかに女性らしいか」がとにかく重視されていたような気がします。
マニッシュスタイル(木村カエラちゃんとかchokichokiがめっちゃ好きだった)が当時高校生のあいだで流行っていたので、そのまま行ったらはじめのほうは「少年?」とかすれ違った人に声をかけられたりもしました(笑)
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今思えばジェンダーの多様性などについては、意外と他人への関心の薄い日本人の方が、受け入れやすい事なのかもしれません。
と、ひとりごとでした。
ご覧いただきありがとうございました。今日も1日頑張りましょうね!