知らなかった世界:かつてフィリピン・ダバオに日本人が居たなんて
世界にはまだまだ知らないことが山ほどある。日本人の移民や、戦争の記録。
ダバオにも移民
移民と聞いて真っ先に思い浮かぶ場所は「ブラジル、ハワイ」以上。この私の知識の浅いことといったらトホホレベル・・。
実はここダバオを訪問して初めて、ここに移民の歴史があることを知りまして。
自分は日本の歴史を知らなすぎる、と外に出てよく思う。バイブルだと思っていた山川出版の日本史の教科書は、私がうろ覚えなのか内容が薄いのか(失礼な)、何が起こったのかを知らなすぎると痛感すること多し。
ここダバオは、戦前2万人の日本人がマニラ麻の栽培従事者として暮らしていたという。彼等が住んでいた町は日本語の「民が多く留まるように」との願いから民多留(ミンタル)と名付けられていて、現在もMINTALという地名で残っています。
ここに移民の歴史があったことをここダバオに来て初めて知る。教科書に載ってない歴史です。
ミンタル小学校も訪問。
ここにも太田恭三郎さんの記念碑がちゃんと建てられている。
戦争の爪痕
この土地の一番偉い町長さんが案内してくださって教えてくれる。とても丁寧に対応してくださり、超VIP扱いをしてくれた。
「見てください、ここに銃の跡が沢山あるんですよね」。確かにボコボコしている。この裏には逃げるためのトンネルがあったというのも教えてくれた。
やっぱりここダバオにも戦争の記憶がありました。
資料館にあった日本軍の避難ルートでは、誰がどこで亡くなったなど、名前まで細かく記されていました
日本史で学習する第二次世界大戦で学習する内容以外に、同時進行で周辺諸国でも沢山の被害があったのだ。
ここダバオでも悲しい歴史があり、そこに日本人が生きていた記録と、亡くなった記録もきちんと残されている。実際に訪問し、見て聞くことで、知らないことが山ほどある現実を痛感する。
ハッとしたら、そのショックの勢いで学べばいい
本来なら勉強してから訪問するのが一番いいのだけれど、自分の場合は毎度その場に行って「わ!知らなかった!」から始まる。
ハッとしたら、そのショックの勢いで学べばいい。過去の事実を知ることで、その人たちの苦悩や困難を想像することができ、そこの土地の人の考え方や違いを受け入れようとする感情が生まれるのではないかと。
それが、言葉のみならず、その国を丸ごと飲み込むように理解する、ひとつのやり方だと思っている。
海の外に行って、そこ見える日本や国同士の関係を見る。こういうのを、やっぱり若い世代をはじめ、沢山の日本の人に知って欲しいなと思いました。
あー、私ももっと勉強しよう。ということで帰国してから色々この地の移民の歴史から戦争史などを調べている現在。まだまだ勉強不足なのだけど、私なりの「ハッとした」話。
9月23日 サカシタカオリ