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第1話:野球人生からの転機

夢に賭けた青春時代

小さい頃から、野球がすべてだった。朝から晩まで白球を追いかけ、プロの世界を目指していた。高校、大学、そして社会人野球と進み、24歳の時には独立リーグでプレーしていた。チームメイトと共に汗を流し、勝つために努力する毎日。ただ、1年だけ独立リーグでプレーし、その後、航空自衛隊に入隊し、そこで野球を続ける道を選んだ。

しかし入隊後に思わぬケガに見舞われた。

プレーを続けることが難しくなり、野球を諦める決断をするしかなかった。まさか、自分がこの世界から降りる日が来るとは思っていなかった。

野球を諦めた瞬間、人生の迷子になり、自衛隊への道を選ぶ

野球が終わったら、自分には何が残るのか。

実は、野球選手の多くが引退後に悩む。自分も例外ではなかった。25歳で航空自衛隊に入隊し、新たな環境で挑戦することを決めた。規律正しい生活の中で新たなスキルを学びながらも、野球への情熱は変わらなかった。そんな中で考えたのが、航空自衛隊への入隊だった。「次に何をすればいいのか分からない」という不安に襲われる。自分も同じだった。

「野球以外に何ができるんだろう?」

考えても考えても、答えが出ない。野球を続けながら新たな挑戦も模索していた中で、航空自衛隊に入隊する決断をした。幼い頃から、体力と規律のある環境には自信があったし、何よりも『新しい挑戦』をしたかった。航空自衛隊に入隊し、厳しい訓練を受ける中で、仲間との連帯感やチームワークの重要性を再認識した。入隊後は厳しい訓練と共に、野球を続ける道を選んでいた。しかし、入隊して3年が経った28歳の時に、野球で肩を酷使しすぎたことが原因でケガを負い、野球を続けることが難しくなった。これにより、これまでのキャリアに区切りをつける必要が生じ、新たな挑戦を求めて海外へ渡ることを決意した。特に、災害派遣や緊急時の対応訓練では、瞬時の判断力や冷静さが求められ、それが後のキャリアにも大きな影響を与えた。しかし、自衛隊の世界もまた、自分が本当に長くいるべき場所なのかと考えるようになった。

オーストラリアで気づいた「自由な働き方」

そんな時、ふと海外に行ってみようと思い立った。31歳の時、オーストラリアに渡り、人間関係の全くない回転寿司のチェーン店で働きながら英語を学ぶ生活が始まった。

そこで感じたのは、日本とは全く違う「自由な働き方」。

「こっちの人は、自分の好きなことを仕事にして、楽しく働いている。」

衝撃だった。これまで「仕事=苦しいもの」と思っていたが、そんな固定観念が崩れた。

未経験で外資ITに挑戦

帰国後、何者かになりたくて稼ぎたい一心で色々と調べた結果、外資系IT企業という世界に出会った。成果主義、年功序列なし、高収入。まさに自分が求めていた環境だった。

しかし、問題は「IT知識ゼロ、営業経験ゼロ」だったこと。

周囲は有名大学出身のエリートばかり。最初は全く相手にされなかった。それでも、「野球で培ったメンタルと努力」で、インサイドセールスからキャリアをスタートさせた。

次回、第2話では「なぜ営業を選んだのか?」を深掘りしていく。野球選手から営業マンへの転身には、意外な共通点があった——。

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