自分の心に正直に、自分の軸で生きることはできている?
現在の職種はフリーランスです。
フリーランスを格好良いと思ってる人がいたらその感覚はもうすでに古いと思って欲しい。または勉強不足。
自分で地に足をつけて生きる。意思決定が自分全てという生き方がどういうものかは経験しなくとも学びで深められる部分はあるので、「個人事業で生きています。」という話をした際に、「すごいね」という返事が来た時にものすごく困ります。そこに関してはまぁ興味がないか、過去に生きてきた中で知る必要がない場合にもそういう答えとして出るのかもしれない場合もあるかもしれないけど。
言葉って一瞬で人の認識に判断を委ねるから怖くもありますよね。そういう自分が完璧なわけでもないけど、そういうものだという認識があるだけでも褒めたい部分の一つ。
会社組織に在籍していた雇われの頃は「この商品は素晴らしく良いものだ」という洗脳にも近い会社のマネジメントによって自分の本当の意思とはまた別に動いていた日々。
実際にその商品は人の価値観によっては良いものになり、悪いものにもなり得たものだった。経営してるわけでもなく、中核にいたわけでもない自分としては飲み込まなくてはいけない場面が多々あった。資本主義社会の中心をいく大企業でいわゆる人から見た「成功」を目標にするには、そこで会社の意思そのものに身を委ね、時には愛想笑いをし、時には自分の気持ちとは反している行動を要望され、物凄いストレスの中で生きている日々だった。
今考えてもよくやっていた。結果的にその経験は結構宝でもあるしその経験をさせてくれた会社に感謝の気持ちはある。が、その会社のマネジメント手法は猿を動かすための秀逸なマネジメントだったとしても人をクズとして扱うマネジメント(と思わせてしまうような)だったのも事実。
勝手な自分の認識だけど別に間違ってもいないと思う。個人の見解は自由。当時、そう感じ始めた頃から退職のカウントダウンは始まっていた。一方で気づいた段階からその部分に意識を向け、違う角度で見始めた思考は自分の知識にもなったので非常に勉強になった。
事業TOPの幹部陣の動きが偏りまくりの主観だらけに感じたし、感情的だし病んでた。ということは根幹はどこにある?もちろん会社のTOPにあるし、元を辿ると株主になるし、というかそもそもこの生み出されてしまった資本主義にある。そしてその時代を生きている自分たちの教育にある。
綺麗な丸い形の風船も、手で握ろうとしたり外から圧迫すれば歪む。それが心だとしたら、正常な判断はできない。
結局、本質的な根元は結局ここに全てがある。
そんな時代を生きている私たちですが。この認識を頭に置いた時に周りを見ると、いかに自分の歩きたい心があるままの人生ではなく他人の軸で生きている人が多いことか、という事にたどり着く。
自分が生きる社会環境、友人、そのそれぞれの意見は人の意見であり、自分の意思と同じとはいかないのに、人の意見を生きようとする人が多すぎる。
これを悪いと言っている話ではなく、そうなってしまいやすい環境で生きてきたからこそそうなってしまう。
自分の声を聞く事に慣れてない。
だから、日々が苦しくなる。そして、苦しくなった日々をどこかで発散させようと人を使って発散する。これが、いわゆるマウントだったり、暴走する無意味な愚痴だったり。
自分の声を聞く事、自分の心に嘘をつかない事、自分と向き合う事ができていれば人を使って発散する事なんてなくなる。人に認められようとしなくとも、自分で完結するとそれはもう圧倒的にバランスを保てる自己肯定感を持つことができるようになる。
まさにこれが自分軸。
自分軸をわかって生きている人は、すぐに人の心の歪みに気づくと思う。
放った言葉が全てを物語るから。
自分軸で生きるようになるには周りを気にしない事。けどこの社会で生きてきた私たちにとって難易度が高いことも事実。
とりあえず、なんか困ってるいろんな人にいいたい。
人に求めるその意見や、承認欲求。
どこからきてるのか自分に聞いて欲しい。ちゃんと自分と向き合って分析して。生き方のヒントは自分に聞けばわかるようになるから。
人を軸にしたら一生苦しいままの人生にしかならない。
でも、自分を軸にした時に様々なストレスから解放され、本当に自分が何を喜びと思うのかという大事な事にたどり着く。
「自分が生きてきた中で、潜在的にしっかりと見つけてきていた自分軸」は、生き方そのものをサポートしてくれる心強い指針になる。