「すごい」という言葉をいわせたい人間

人は自分の承認欲求を人で満足させず、自分で満足させる事はできないのだろうか。

自己欲求を人を使って満たそうとする人間とは距離を置いた方が平和だと思う話。

受け手の許容の広さや状態や状況によってももちろん変化はするものの、人を使って自己満足度をあげようすると言うその事象だけ取り立てても、相手にしない事がどれだけ平和な心が保てるのか。

これは相手が上司や仕事の関係になった瞬間一種のパワハラなんだろうな。

友人関係であるのであれば、避ければ良いだけの話になる。

自分の思う気持ちと違うことを発しなきゃいけない場設定がされれば、それだけでパワハラなんだろう。

友人の紹介の関係でよく3〜4名で一緒に食事をする人がいる。その人自体が嫌いなわけでがないが、お酒が入ってくると次第に「自分はすごい」自慢が止まらなくなる。

有名人の○○に会った、著名なこの方はいつでも食事に行ける仲だ。

住んでいる場所にはすごい人が多い。

自分は優良企業の部署で良い役職について幹部として活躍していた。現在も周りはいろんな人がいて、自分は指示されている。

こちらからすればそれを聞いたところでなんのメリットもない。

これを聞いてメリットと思う人がいるとすれば、そんな人と食事している自分はモチベーションが上がる。と思える人。ミーハー感覚を同じように持つ人だと思う。残念ながらその人の人柄を実際詳しく知らず、興味を持てない人だとしたら、「へぇ」の感覚しか持てない私なので一切の興味が持てない。

お酒の場では自身の自制心が一気に崩れる現象が起きるので、

「自分のことを認めて欲しい!」と言う感覚が大爆発して言葉として表現され、空気すら作るので尚のことめんどくさい。

と、そこで。

こう言う発言が多い人を分析してみました。

①承認欲求が強い

②周りに認められないと自分が生きていける感覚を持つことができていない

③自己肯定感が低い

要するに結局は③の要素が根本となり、発言や行動してしまうのが当てはまっていると思う。

例外だと、それを聞いた人の反応をみて相手がどう言う発言をするのか、また人の真意を探っているとか(超例外なので相手側がうわてでかなりイレギュラーだと思うが)

人の気持ち部分は複雑さそのものなので、そんな発言をしながらも自身でそこを満たしている事を感じている人も中にはいるだろうが、多くは承認欲求からくるものだろう。

自己肯定感を持てている人は、自分自身の生き方を、周りの人に委ねない。そもそも自分は素晴らしい存在だと、誰かの意見や感覚は関係なく自分自身で認めることができているからだ。

その場合そういった周りのいわゆる一般的にすごいねと言われ”やすい”状況があると言うことををわざわざ会話として持ち出したりはしない。

その行動が自分を満たす要因にはならない事を知っているからだ。

そこに、「すごいね、いいな、自分も一緒にそうなりたい…」

そう言う感覚を持つ人は喜んで話を聞くだろう。また、その人にとっての「その場の満足度」は一気に上がるだろう。

こういった類の現象が起ることに年齢は関係ない。

ただし、行動そのものは幼稚だと感じる。子供は親に「かまって」という気持ちを常に持っているから。

人の感覚に委ねた人生を送ると、親子の関係によく似る「人がいないと生きていけない人」という生きる在り方を作ってしまうことになる。

この事実そのものに気付いたら、自分への向き合い方も変化するし、自分が生きるこの感覚にどういった事が本当の幸せなのか、へ向かう事になるので生きる価値を自分自身で見出せるようになっていく。

単純にこう言うことをしてしまってる自覚のある方、少し見直してみて欲しいです。

気分を害する被害者は、私含め思っている以上に多い(笑)

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