孤独と平和。距離感のバランス。
普段の日常会話の中でポジション取りをするような会話に敏感なフリーランスの私。
大抵は発した本人がその事自体に気付いていない事が多い。
だからこそ残念な気持ちになることも多い。
ふと「それ自己満足のためにした発言だと気づいている?」と口に出てしまいそうにもなる。あぁ危険…
自分の言葉に向き合わない人なんだなぁ…という感覚も一緒に来るので余計に残念な気持ちに思える。
私が人を上から見ているという話ではなく、おそらく自分の寂しさからきてる事に気がつく。
「自身の発言に思考を巡らせない」という事が、自分とその人との思考にズレがあって、となると他の話にも共有できる事が少なくなるのでは?という寂しさから来るもの。
言葉の背景に思考を巡らせる事ばかりが正解だとは思わないし、むしろ面倒くさいと思う。
性格とか重要視してるかどうかの問題なだけなので、自分の思考回路とまた敏感さにうんざりする瞬間でもあるのだと思う。
自分で自分を満たせない、人に認められようとマウントしてみたり、ポジション取りをしてみたり。そういう事をしないと自分を満たす事ができない日本人は山ほどいる。そういう教育で生きてきたから。
それを避ける方が難しいことも気づいた。みんな無意識にやってるので悪気なんてない。
無意識でも根底には生きるために自分を守る防衛行為。日本の教育はそうまでしないと生きるのに耐えにくい社会なのが事実だと思っている。
逆にその事実をわかってる人は、
いかに無駄な行為であるか、自分を下げてしまう行為だと気づいている場合、わざわざその行為を使って満たすこともデメリットにしかならない。と把握している。
清々しくも、こんなこと気づいて生きるほうが、寂しいのかもしれないなとも思ったり。
あからさまじゃなければ可愛いものなので、自分の心の余裕を保った時であれば聞く事ができるけどそうでなければなるべく出会いたくない行動。
そうしてコミュニケーションをとりたくなくなると、疎遠になる。
また実質的な孤独の始まりでもある。
それが幸せじゃないか、というと論点が変わる。
幸せの基準をどこに合わせるかもあるけど。
人との疎遠は寂しくなることもあるが、平和が訪れてることもある。
甲乙あって、でもバランスをとるのが難しい。
感情をコントロールしきれたら、うまくバランスを取れるのだろう。
まだまだ未熟な自分としては難易度が高い。
明日の自分の思考も感情も、今はわからないのものなので。