狐の嫁入り
私が生まれる前からあるこの桜の木の下をこうして白装束を纏い歩く日が来るなんて。
胸のうちから沸くなんとも呼びがたい心持ちの中、
私はある日おばぁちゃんに聴いた物語を思い出していた。
私がまだちっちゃな頃、
お日様の照る耕起前の畑で遊んでいると、
雨粒がさーっと私の体に降り注ぐことがよくあった。
その日は特別大粒の激しいお天気雨で、けどなぜかいつもと違う、暖かくて心地好さを感じる雨粒だった。
帰っておばぁちゃんにそのことを話すと、
おばぁちゃんは狐の嫁入りの話をしてくれた。
「そんな時は狐の嫁入りといって狐の結婚式が行われているんだよ。」
「狐の嫁入りって?」
私の質問におばぁちゃんはぽつりぽつりと語り出した。
まだ幼い頃の狐は時に人の姿に化けて人里に下りて遊んでいたりするんだよ。
あるメスの狐がいてね。
まだ幼かったそのメス狐がはある日人里におりていったんだ。
もちろん人の姿に化けてね。
とりとめもなく里の畦道に咲く野花を摘んで遊んでいたら声を掛けてくるものがあった。
「その花綺麗だよね。」
それは彼女の一目惚れでね。
出逢ったのは人間の男性だったんだ。
その男との恋に落ちた狐は実らぬ恋に心を痛めながらも、それでも毎日のように人の姿に化けては男に逢いに人里を訪れ想い続けていたのさ。
ただでさえ人の姿の時しか会えなかった二人の逢瀬は長く続くことはなく、
そんなに間もなくその男は亡くなってしまってね。
そしてその事に胸を痛めた狐はとうとうその心の傷を癒やすことが出来ず時は流れていったんだ。
「それじゃぁ結婚出来なかったってこと?」
我慢が出来ず口を挟んだ私におばぁちゃんは優しく微笑んでこういった。
「これはね、結婚してその人と暮らすっていうことだけが誰かを愛するってことじゃないんだよ。っていうお話さ。」
狐は大きくなってもなお、人に化けてその男のお墓へ参りに人里へ降りていたんだ。
ある日のこと、
いつものように彼の好きだった"クサノオウ"という黄色い花を一輪持って、
人里と山の丁度合間にある、立派な桜の木の元に建てられた彼のお墓に向かうとそこに一人の見知らぬ男がいて、同じ様にクサノオウをお墓に供えていた。
驚き思わず立ちつしていた彼女に気付いた男は思わず「あっ!」と声を上げ、
その声に驚いた彼女は咄嗟に逃げ出してしまった。
森の中まで来ると彼女はその男を振り切ろうと狐の姿に戻り、更に山の奥まで一目散に逃げた。
けれども後ろから聴こえる草むらを分け走る音は止まない。
走っても走ってもついてくるその気配に
「こんなにすばしっこい人間がいるなんて」と違和感を覚え振り向くと、そこには嬉しそうに息を弾ませ追いかけてくるオスの狐が一匹。
「やっぱり!、、君も狐だったんだね!、、兄さんのお墓に、、あの花をもって来る人なんて、人里には、ひ、一人もいなかったから、、もしかして!、と思って、、、!」
「兄さん??」
訝しげに想った狐は走るのを止めるも、そのオス狐への警戒はやめなかった。
だけどそんな気配にはお構い無しと荒くなった息を整えオス狐は続けた。
「兄さんを看病しているとき君のことずっと聞いていたよ。
そして、君が大好きな花のことも。
"あいつはきっと俺が死んでしまったら心を痛め、忘れられずに時を過ごしてしまうだろう"
なんて言うから、こんな時までなぁにのろけてんだいなんて想ったものだけど、そう言ってる時の兄さんの悲しそうな瞳が忘れられずにね。。
だから俺、この季節になると必ずあの花を持って御参りに来てたんだ。」
狐はそのどうやら彼の弟らしいそのオス狐の話を聞くうちにようやくすべてが腑に落ちた。
そして気付いた。
あの花を好きだったのは狐自身で、
そんな自分を振り返ることなく彼の喜ぶ顔見たさに黄色い花をことある毎にプレゼントしていた自分の健気な幼さと、
そしてその花を大好きだと言い微笑み続けてくれていた彼の優しさに。
彼は生まれた時から自分の命が長くないことを知っていたのだそうだ。
ならば、と、
ずっと憧れ続けていた人間の暮らしがしてみたいと、人に化け人里の暮らしに溶け込んでいる時に彼女に出逢ったのだった。
彼は狐のことを心から愛していた。
だからこそ自分は人間でないことを明かせなかったのだと。
彼女の性格も彼にはすべてお見通しだったのだ。
クサノオウの花言葉は
"わたしを見つめて"
「幼かった私は自分の事しか考えることが出来なかったんだ。。」
狐はあの頃の自分を振り返り、
胸がキュッと少し痛むのを感じた。
けれどその事で狐は自身を責めることはしなかった。
「兄さんは言っていたよ。
俺は幸せだったって。人間として暮らすことも出来て、共に暮らすことは叶わなかったけど、愛する人とも出逢えた。しかも憧れていた人の姿で、短いながらも素晴らしい時を共に過ごすことが出来たんだから。
って。
それを聞いていると俺ももう幸せな気分になっちゃって。兄さんがもうすぐいなくなってしまうことなんてどこかへ行ってしまうんだ。」
と無邪気な笑顔を見せた。
狐は思い返していた。
あの時、彼のお墓の前で黄色い花とそのお墓を見つめていた弟の瞳に宿っていた似たような哀しみを。
弟もまた彼のことを愛して止まなかったのだ。
愛するものを同じように愛する存在に出逢った二人は必然結ばれ、
その結婚式はそれは盛大に、そして暖かく心の籠った式だったそうだよ。
最後にもうひとつ。
クサノオウの花言葉はふたつあって
"思い出"
っていう意味もあるんだ。