好きだからこそ敬称を略したくなる件(例えばそれは向井秀徳)
プロフィールにも書いているしnoteの題材にもしたことがあるけれど、私は23歳だ。
自分が好きなバンドやアーティストは大抵、私より年上なことが多い。
そして私は、そんな人生の先輩である彼ら彼女らに敬称を付けたい時と、略したくなる時とがある。
この前、自分が以前書いたnoteを読み返していた時に、(自分で書いた言葉だけれども)心のなかで「解せぬ....」となった箇所があった。
向井秀徳 「さん」。
Number Girlのボーカルギターのこの方につける「さん」という敬称に、どうも変なむず痒さを感じる。
自分で言うのも烏滸がましいことだけど、私は他人への敬語や敬称はしっかりしているつもりだ。中学の頃は敬語を使うことに対して厳しい部活にいたというのもあってか、目上の人には比較的丁寧な言葉を使ってきていると思う。
そして、このNumber Girlというバンドへの敬意も大いにある。
自分が知った2015,6年頃にはとっくに解散していたバンド。
2019年3月に、17年ぶりに復活したバンド。
ライブに外れ続けたままコロナになって、配信ライブなどはちょこちょこ見たけれど、やっぱり生で聴いて狂いたい衝動に強く駆られるバンド。
ライブに行けてこそいないし会ったことすらないが、このバンドのフロントマンは、とにかく、すごい。
彼によりテレキャスターをかき鳴らして叫び歌われる曲たちは、唯一無二の個性を放っているし、心を揺すぶられる衝撃を感じる。
もちろんこのバンドのメンバー全員が揃って演奏してこそすごいのだけれど、このバンドの独特な雰囲気を作りだしているのは、どう考えてもバンド発起人のこの人だと思う。
一般的に考えたら20過ぎの若者が40代の方に「さん」を付けないなんて、かなりまずいことだ。
ナンバガを始めた頃は20代だったが、再結成後の今は47歳。二回りくらい違う。
もし向井「さん」という名前の人が自分と同じ会社かどこかにいて、同期でもないのに「向井」なんて直接呼んだもんなら、本当にほんとうに失礼極まりないことだろう。
でも、でもだ。
わたしはNumber Girlというこのバンドでこのすごすぎる人だからこそ、「さん」を付けたくない気持ちになってしまう。
自分はいま音楽業界にいるわけでもないし、『ギター・マガジン』の編集者でもない。
でもだからこそ、つまり現時点で自分の生涯のうち絶対に会って直接話すことのないだろう、そんな人だからこそ、私はあえて自分なりの最大の敬意をもって この方を「向井秀徳」と呼びたくなる。
先日、今年の東名阪Zepp会場でのツアーが突然発表され、私も12月26日のZepp Tokyoでのライブチケットをようやく勝ち取った。
めちゃくちゃ嬉しい。活動していた時期からのライブ参戦者の方がたにとってどう思われるのか、当日のライブハウスにどんなお客さんがいるのか気になるけれど、正直とってもとってもとってもうれしい。
当日狂いながらライブを楽しめるように、それまでの日々の生活を精一杯頑張っていきたいと思う。
<今日のひとこと>
ですます調がいいかである調がいいか、書くものに依る気がする...。なんて思いながら投稿し続けていたら、私のnote、ページによって話し方バラバラで多重人格者みたいになってますね、、。そうじゃなくてもっとこう、自分を持っているような芯のある人になりたいんですよ!私が思うに例えばその子は透明少女