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「なんもアップデートされてないやん」

 Macbookをアップデートした。すげえでかいアプデで、めちゃ時間かかるやつ。
 アプデするための容量が残っていなかったので、使わなくなったファイルなどを削除。満を持してのインストール。アプデ完了。
 おー、キレイになっている。なんか洗練されている、感じがする。

 いろいろ細かいところが変わっているなあ。あれ、バッテリーの残量が数字で表示されなくなっている。
 戻したいなと思い、ネットで調べる。ふむ。この設定からいじるのね。ちょっとだるう。
 使用して約2週間。猛烈に「前のやつでよかったやん!は??何このアプデ??は?」という気持ちが満ち満ちてきた。キーボードの設定もなんか前と違うし、もとに戻せんし、Safariの新規タブを開くボタンの位置も変わっていて使いづらい。なんじゃこれ。

 そういえば本で「消費社会において人々はモノではなく、観念や意味を消費している。たとえばモデルチェンジするものは、モデルそのものではなく、チェンジしたという観念を消費している」って書いてあった。今回のやつほぼこれやん。モデルチェンジではないけど。
 意気揚々と、使いやすく新しいデザインになることを期待してアップデートした俺。ワクワクしながら、アプデ完了まで待つ俺。ゆっくりと完了まで動くバーを見つめる、俺…。
 観念を消費してやがる。

 振り返ってみると、観念や意味を消費したことは他にもあるのではないでしょうか。周りから承認されるために買ったもの。有名人が使っているから買ったもの。個性を表すために買ったもの、行った場所。
 俺はあるよ。恥ずかしながらあるね。観念の消費は一時的で、限界点がなくて、残るものは「虚無」なのにね。
 ぼーっとしていると、観念の消費の渦に飲み込まれてしまいます。
 ちなみにさっき挙げた本は『暇と退屈の倫理学』という本で、かなり読みやすい。ゴミみたいなインテリアや、数回しか着ない服を買う前に一読。
 iPhoneも別に新しくせんでいいよね。だからもうしばらくiPhone 6sと生きたいと思います。

[追伸]
キーボード元に戻せた

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