違う人しかいない①
新年が明けました。明日から本格的に忙しくなる仕事のことはなるべく考えなようにしつつ、コメダ珈琲であと30分でこの記事を書きます。みなさん、年末年始はいかがお過ごしでしたか。
わたし、「世界、もしかして自分と違う人しかいない!?」に気づく年末年始でした。
今年もよろしくお願いします。
一昨年、というか今回の前の年末年始は、コロナに罹ってしまい、寝込んでドクターストーンにひたすらハマった思い出が濃く、社会人になってある意味初めての年末年始でした。サッパリ言うと、年末年始、めっちゃ楽しいな!?これからの生きる希望になりました。
というのも、年末は職場で責任ある仕事をする必要がなくなり、やることといえば、自分の整理整頓や事務作業だけ。仕事はあるが、自分のためにする仕事と言う感じ。
なので、大分気が楽で、何日も連続でいろんな知り合いと会った。この秋冬の一張羅、一番見栄えのする赤いセーターを毎回着ては会った。数年来の友達に会うこともあった。
その中で思ったことは、自分とは違う人と対話をするということは、思いがけない幸せをくれるということだ。
以前、「恋愛対象・友達になるのは、自分と似た人か違う人か、どっちの傾向があるか?」について、友人らと盛り上がったことがある。
わたしは、恋愛対象(あるいはすごく惹かれる人)は自分と違う人で、友達は同じ人なんじゃないかと言った。こう書くと、友達の方がすごくない感じに見えるが、だいたいずっとつるむのは、友達カテゴリの人だ。共感してもらいやすく、しやすいから。「ん?」と感じるストレスが少ない方。
もっとも、何を似ていて何を違うとするかは、場合によって違う。今考えると、わたしが同じとみなしていたのは、じっくり考えることが癖で、人との距離が遠めの人。気い使いの人。何かを作る人。
そんな感じで、似た友達との日々だったが、大人になるにつれて自分と違う人にも惹かれるようになった。違う場所で違う生活をしている人のことを、好きだなあと思った。
「違う」彼女とは、4年ぶりに会った。大学卒業のとき、小さなことでギクシャクしたつもりでいたが、SNSのひょんなやりとりで会うことにした。わたしより、鬱屈していない、おおらかな彼女。
ところで、わたしが他人に対して構えるセリフの一つに、「あなたに作ってもらうのにお金とるの?」がある。そう聞かれると、わたしは、「ものづくりしない人だ!」と、違う世界の人と遭遇したような感覚になる。
* 今は単純にびっくり!の感じだが、昔はもっと壁を作っていた。「わたしのこれまでの思考、労力、さまざまなコストに価値を見出さない無礼者!」と勝手に、被害妄想を展開していた。
無断でこんなことを書くが、多分いい話になるので許されたい。彼女はそれほどの無礼さを持たないが、ニュアンスの似た感じのことを聞いてきた。まさに、「ものづくりしない人だ!」と。それがちょっと面白くなって、会いたくなった。最近、作る側の人としか連んでいなかった。
久しぶりに会う彼女は、行き届いた容姿も都会にするりと溶け込む雰囲気も素敵で、いわゆるエリートの道を歩いているんだろうなと、わたしはすぐに振り分けてしまった。