「違和感」に動かされてきた、わたしのこと
はじめまして、お目に留めていただきありがとうございます。
古着関連の会社で働く社会人1年目のさかなのなかなと申します。写真は城崎マリンワールドで撮影したものです。(ペンギン推し)
noteをはじめるきっかけ
最近、会社のSNS運営やサイトづくりなどを行っているのですが、多くの方に見ていただくことって本当に難しいなあと実感しています。
イメージに自分が作ったものが追いつかなかったり、なかなかフォロワーさんが増えていかなかったり、アクセス数が停滞したり。何がダメなんや、と悶々としていたこの頃。。。
でも、ここにnoteと出会うきっかけがありました。
違う角度で弊社の商品をお客様に知っていただけないかと考えていたときに、noteにサイトが紐づけられて、商品を掲載できるという情報をゲット。
その時に、そういえば小学生の頃、作文が好きだったことを思い出しました。なんなら、大学時代に雑誌の編集者を志したこともあります。
そこで会社でもnoteでの発信を始め、これを機に私も自由に何かやってみようと思い立ち、文章を打っています。
わたしのこと
父母兄私の全員B型、みんななかなかの自我を持った家族の中で育ちました。
インテリア好きの母の影響で、食器や家具などに興味を持ったり、占いが好きな父の影響で、信じる力が強かったり、絵が上手な兄の影響で、デザインを勉強したり。この家族の元で、育ったことを最近強く、再実感しています。
そんな私は、あらゆる「違和感」と「好きのチカラ」によって動かされてきたと思います。
「違和感」
小さい頃、兄と区別しやすいように服は、ほとんどピンク色でした。
私は外で遊ぶことが大好きで、ズボンに穴があくことはしょっちゅう。反対に兄は家でよく絵を描いていました。細かい作業は大嫌いで、大雑把な性格の私とは対照的に、兄は切り絵や、折り紙など繊細な作業が得意でした。
性別が反対だと言われたことをよく覚えています。本当はピンク色の服なんて着たくなかったし、女の子らしくとか、みんなと同じようになんて言葉が大嫌いでした。
でも、そんな私も小学校、中学校、高校と進む中で、どう振る舞えば溶け込めるのかを覚え、そんな違和感にも気がつかないまま、気がつかないようにしながら、大学生になりました。
いわゆるマンモス大学と言われる学生数が3万人ほどの学校に進学。そこで自分と同じ服を着た人に1日何回も会う機会が。
流行していた服、だからそんなこともあり得るのに、
そのとき感じた気持ち悪さというか、不安。「え、私って何?」という違和感が再び私の元にやってきました。
それがきっかけで、自分とはなんぞやの答えを探すように、古着と出会い、ファッションに夢中になっていきました。
周りにどう思われるかよりも、着たいと思う服を身に付けるように。
結果としてみんなと同じような就職活動をやめ、現在も好きな服を身に付け、淡いピンク色の髪で、出勤時間を自分で選択できるような自由な会社でのびのびと働かせていただいています。
ああ、思ったよりも長くなってしまったので、「好きのチカラ」のお話はまたの機会にしようと思います。今回はこのあたりで。。。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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