【ミステリーレビュー】幻惑の死と使途/森博嗣(1997)
幻惑の死と使途/森博嗣
S&Mシリーズの6作目となる森博嗣による長編ミステリー。
あらすじ
いかなる状況からも奇跡の脱出を果たす天才マジシャン・有里匠幻が衆人環視のショーの最中に殺害される。
それだけでもセンセーショナルな事件だったのだが、更には、その遺体が霊柩車から消失。
誰が犯人かどころか、どうやって殺したのかもわからない、まさに奇術のような匠幻にとって最後の"脱出"。
犀川と萌絵のコンビは、それぞれのスタンスで真相に迫っていく。
概要/感想(ネタバレなし)
犀川の天才っぷりがインフレ傾向にあり、関心が薄いから優先順位が低いだけで、本気で考えたらすぐに解決できるレベルになってきた。
その分、無鉄砲に突っ込んでいただけの萌絵に推理面でも見せ場が増えたのだが、単独行動時に犯人と対峙してピンチに陥るお約束は、さすがにワンパターンになってきたのも否めないか。
ただし、物語の運び方としては、勢いが完全に復活したといったところで、ふたりの関係性を丁寧に描きながら、本作にてピックアップしたテーマも強調。
ボリュームはあるがテンポも良かった。
また、本作のチャレンジングな特徴として、第7弾の「夏のレプリカ」と同時進行で物語が進んでいく。
それを示すために、奇数章のみで構成。
取り急ぎ、作品単位で読んではいるものの、偶数章が掲載された「夏のレプリカ」と2冊揃えて、順番通りに読んでみるのも面白いかもしれない。
総評(ネタバレ強め)
ミステリーにおいて、特殊な仕掛けがあるトリックを用いると"非現実的だ"と言われがちだが、登場人物をマジシャンの一門にすることで、それを"アリ"にしてしまっているのが上手いというか、ズルいというか。
もっとも、"タネ"があることを前提に推理をさせることによって、シンプルな真相に思い至らないように、とミスディレクションしているのも見事。
あれだけ陳腐化していた入れ替えトリックが、こうも鮮やかに息を吹き返すとは。
殺人動機については、このシリーズに登場する天才らしい発想であったものの、総クリエーター時代になった現在、わからなくもないのでは。
「すべてがFになる」もそうだったが、研究者の見地からの未来予知が的確。
携帯電話がマストでないなど、時代を感じる部分はありつつ、2022年でもなお違和感なく読めるのは、先進的な感覚が研ぎ澄まされていて、感性が時代に取り残されていないのだよな、と。
1997年当時において、ネット文化の未来として、個人の日記やひとりごとに支配されて、価値のある情報よりもインフルエンサーが優先されるという考察について言及しているのが、わかりやすい部分だろう。
余談だが、途中、顔だけが本物の死体で、あとは風船なのでは、という死体消失トリックの仮説を立てるシーンで、「金田一少年の事件簿」の「魔術列車殺人事件」を思い出したのは僕だけだろうか。
連載は「金田一少年の事件簿」のほうがやや早いようだが、ほぼ同時期に発表された作品。
偶然だとは思うものの、どちらもマジシャンの名声がテーマになっているので、ドキッとした。