【ミステリーレビュー】王とサーカス/米澤穂信(2015)
王とサーカス/米澤穂信
米澤穂信による、太刀洗万智を主人公とした"ベルーフ"シリーズのひとつ。
2015年「週刊文春ミステリーベスト10」、2016年「ミステリが読みたい!」および「このミステリーがすごい!」にて国内部門1位。
ミステリーランキング3冠を獲得した長編ミステリーということで手に取ってみたのだが、シリーズものとは露知らず(あとがきを読んではじめて知った)。
もっとも、ちょこちょこ"過去に友人の死を経験した"といった意味ありげなモノローグが登場するぐらいで、ストーリーへの干渉はなく、面白さを損なうものではなかったと認識している。
フリーの記者である太刀洗は、事前調査で偶然居合わせたカトマンズにて、国王をはじめとする王族8人が皇太子に殺害されるという大事件を取材することになる。
そんな中、独自ルートで取材を試みた軍人が、背中を"INFORMER(密告者)"と切り刻まれた死体で発見された。
太刀洗は、死体の発見時に撮影した写真がスクープになり得るか、王宮の事件との関連性の調査を開始。
ジャーナリズムとは何か、という葛藤の渦に巻き込まれることになる。
この設定は、2001年にネパールの王宮で実際に起きたナラヤンヒティ王宮事件がモチーフとなっており、小説としての脚色はあるものの、事件が発生した後の混乱から暴徒化、沈静化までの生々しい現地ルポのような描写は、本作のストーリーに重み、深みを与えていると言えよう。
序盤は、現地で出会った少年・サガルや、宿泊先である"トーキョーロッジ"の宿泊者たちとの交流を通じた旅行記風の描写が多く、事件が発生して物語が動き出すのは中盤以降。
純粋にミステリーとしての謎だけを求めてしまうと、退屈に感じてしまうかもしれない。
一方で、本作のテーマを、ジャーナリズムの在り方に対して揺れる太刀洗万智の精神的な成長と捉えると、序盤で丁寧に舞台設定が描かれることで、ラジェスワル准尉に取材を拒否された際に言い放たれた台詞が、いかに自らの思想を土台から崩すほどの衝撃になったかが鮮明になっている。
もちろん、マイナー国を舞台にしているだけあって、ミステリーの面でもミスリードをさせない丁寧な描写は必須であったし、読ませるための力量も申し分なし。
文量に値するだけの読み応えはあったので、個人的には良かった点だと認識している。
謎の張り巡らせ方も絶妙で、登場人物それぞれの疑わしい点は見抜けても、それがどのように組み合わさって、事件という結果に結びついたのか、という立体的な解決までは、最後の最後まで見抜きにくい構成。
穏やかに展開される解決編は、謎解きよりも太刀洗の成長に重きを置いた本作らしい。
…と思わせて、エピローグ的な更なる真実が展開されるあたりは、さすが米澤穂信といったところか。
【注意】ここから、ネタバレ強め。
この作品に納得するか、しないかについては、結局、王宮の事件とは関係がなかった(厳密に言えばなかったわけでもないが、ここで読者が期待していた関係性ではない)ことに尽きるだろう。
王宮の事件はあくまで舞台設定であって、解くべき謎ではない。
日本人の記者が、国を揺るがす大事件にどう立ち向かっていくか、というジャイアントキリング的な展開を期待してしまうと、随分と小さいスケールでまとまってしまうため、肩透かしを喰らったはずだ。
また、八津田の裏の顔については、事件発生前、天ぷら屋のくだりで推測ができてしまう。
あまりにわかりやすすぎる伏線であるため、ブラフ、あるいは大きな罪を隠すための小さな罪だと思ったのだが、事件に直結していたので、もうひとひねり欲しかったのが本音だろうか。
とはいえ、謎が解けるかどうかという観点に加え、途中からは、どのように報道するかという葛藤がプラスされ、物語としては非常に面白い。
謎の真相を解明することと、太刀洗がすべき行動とは必ずしも一致せず、犯人がわかったから残りページは消化試合、とはならないのである。
叙述トリックものに飽きていたこともあり、綿密な取材と、魅力的な登場人物によりど真ん中からストーリーを展開させていく本作は、逆に新鮮味を感じる。
タイトルの由来でもある被害者であるラジェスワル准尉の問いかけも核心をついていて、色々と思考を巡らすきっかけになった1冊であった。