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日記「まばたきをする体」

他人の日記をたよりに過ごしていた時期がある。

その頃はとにかくすべてに自信がなかった。
洗っても洗っても皿が綺麗にならなかった。冗談で人を傷つけた。月に一回は風邪をひき、バイトの入り時間を間違えた。観葉植物を何個も買って帰った。当然、何を書いても作品の形にならなかった。
ランニングをしようと出かけても、走るのも結局ダメな気がして、長い長い散歩になった。そのうち散歩にもダメを感じ、遊歩道の石畳のつなぎ目のパターンをみていた。
秋で、隅田川で、晴れていた。
澄んだ空に「ダメ」の二文字が浮かんでいるようだった。

「自分はこれをやっているぞ」という確信が日常一切に持てないと、時間にも確信が持てず、溶けて行く。
1ヶ月が長い1日のような。朝早く起きすぎた時の、だるく薄ら明るい空気が永遠につづいているような、そんな時間の中で暮らしていた。

ウェブ日記「まばたきをする体」を貪るように読んでいたのはその時だった。
硬派なブログで、写真なし、文章だけの日記が必ず毎日、一つずつ更新されて行く。
更新になると、バイト中でも社員の目を盗んでそっと携帯を持ち、トイレで読んだ。
クレームの電話を受けた時、空が暗かった時、謎に動揺した時など、すぐにブックマークから飛んだ。
そこではあの文体で描かれた、あの1日が待っている。それは私と「まばたきをする体」との、もはや個人的な絆だった。
あの時はその絆に癒されていたし、それがなによりかけがえのないものだった。日記を読んで面白いと思うことだけが、自分の振る舞いの中でそのとき唯一好ましいものだった。熱心というより必死な読者だった。

やがてブログがまとまって本になるということを知った。
その頃、自分の時間も1日1日ときちんと流れてることに、気がつくまでもなく気がついていた。
ダメの日々でもじもじ書いた作品がきっかけで、新しい創作の環境に出会えたからかもしれない。
人間関係が広がったからかもしれない。
仕事も、過酷だけどやりがいのある仕事に変わったからかもしれない。
気がつくと日記本はとうに売り切れていた。
そしてある日。「謎の熱量で続けていたこの日記ですが……」みたいな書き出しで、まばたきをする体ははてなブログでの更新を停止した。
次に見た時はもう、全ての記事は非公開になっていた。別で出た日記本も売り切れた。
「まばたきをする体」とはそこでおしまいになった。

新宿三丁目で偶然見かけた昔の知人たちのこと、
息子が〈梟〉と名付けた段ボールのこと、
お肉券という案があまりにも悔しかったこと、
なんだか元気が出ない時期のあったこと、
消しゴムを濡れた網戸に投げるとブルンッとなること、
不意にオフィスフェレメントだかなんだかを聞かれたこと。
住んでる街も背の高さも知らない他人の、しかも日記が、私の人生のリアリティ全部だった。
もうあの日記に何が書かれていたのか、正確に知る方法はない。でも、今も文を書こうと自分の中を引っ掻き回している時、ふとあの日々を感じることがある。だから体のどこかで全部覚えているんだと思って、寂しくないことにしている。

日記の閉鎖からしばらく後、一度だけ、電車の中で日記本の読者を見かけたことがある。
ブルーのカーディガンを羽織った少し年上らしい小柄な女性で、両隣に座る人に気を遣ってか、本を細く開いて覗き込むように読んでいた。
なぜか両足の踵をあげて、膝と肘をくっつけるようにして読んでいた光景を鮮明に覚えているが、それだと電車内では内緒の読書フォームすぎるので記憶違いの可能性が高い。

私にはその読者が自分以外の、見知らぬ他人であることが衝撃だった。
いたのか。現実に。
そう思った自分にも衝撃を受けた。

本をジップロックにしまって、彼女は電車を降りていった。


その「まばたきをする体」の筆者で、日記スト、エッセイストとしていま最注目の古賀及子さんと、私が劇作を担当した演劇公演でトークする機会をいただきました。
とてもとても、本当に光栄です。

上演がいよいよ今週の金曜日に迫ってきました。
ご都合のつく方、ぜひ足をお運びください。
とても小さい会場ですので各回、チケット予約はお早めに。

イエデイヌ企画2024年公演
再演『エリカによろしく』
https://iedeinu-kikaku.mystrikingly.com/next

2024/10/18(金)-20(日)
三鷹・SCOOL

作:魚田まさや
演出:福井歩
出演:重山知儀、平山瑠璃
制作:中村みなみ
宣伝美術:大石知足
【アクセス】
三鷹・SCOOL
東京都三鷹市下連雀 3-33-6
三京ユニオンビル 5F
三鷹駅南口・中央通り直進3分、右手にある茶色いビル5階
https://maps.app.goo.gl/uGbWAd2omXxp5fwa9

【公演日時】
10/18(金)14:00 ★アフタートーク
10/18(金)19:30
10/19(土)14:00 ★アフタートーク
10/19(土)19:00
10/20(日)14:00 ★アフタートーク
※受付開始・開場は開演20分前
※恐縮ですが演出の都合上、途中入場をお断りさせていただきます。時間に余裕をもってお越しください。

【アフタートーク】
以下の回では上演後に20分程度のトークを予定しております。
10/18(金)14:00 ゲスト:古賀及子さん(エッセイスト)
10/19(土)14:00 ゲスト:小沼理さん(ライター)
10/20(日)14:00 再演『エリカによろしく』創作メンバー


【上演時間】
約100分を予定(途中休憩あり)
【チケット(予約・当日)】
一般 3,000円
学生 2,000円
戯曲付き 各チケット+1,000円
※ご来場の際のお渡しとなります
Peatix
https://iedeinu2024.peatix.com/
販売開始2024年9月1日(日)10:00〜
チケットに関するお問合せ:ticket.iedeinu@gmail.com

【作品あらすじ】
圭一は恋人との旅行中、唐突に関係の終わりを予感する。それはほとんど確信だった。言葉にできない不信と不和を抱えながら、二人は圭一の祖父母が暮らした家にやってくる。広い空き家の空気を入れ替え、掃除をしなくてはならない。

【イエデイヌ企画 サイト】
https://iedeinu-kikaku.mystrikingly.com/
【イエデイヌ企画 X(旧:Twitter)】
@iedeinu_kikaku

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