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インド旅行記「1:ムンバイ」

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飛行機はベトナムからムンバイを目指して飛んだ。

成田からハノイの便には様々な人が乗っていて雑然として賑やかだったが、私の周りはほとんどインド人のようだった。
インド人と言っても外見的特徴も文化も様々だ。言語に至っては公式に確認されているもので200種類以上あるという。
機内アナウンスはヒンドゥー語と英語、そしてムンバイが含まれるマハーラーシュトラ州で使われる言葉のマラーティー語と思われる3種のことばが流れていた。

昼下がりに出発だったが、方向的に地球の自転に沿って飛行するため、夕方が永遠に続いた。
藍色と濃い赤が混ざった鬱血みたいな色の空に照らされて、たくさんのインド人と自分がみんな同じ方向を向いて黙って座っている。

目的地も出発地も消えたみたいだ。

10年くらいそうしていたような気がする。

突然、空が真っ白になった。
雨季の空に突入したのだった。
雲の中で雷が閃くと、ひしめく雲の濃淡がくっきり浮かび上がる。
それがなんか巨大な蚕の群れを連想させて恐怖を感じた。

恐怖ついでに激しい風まで吹き始め、航路が変更になった。飛行機は雲の下に下がったが、激しい風に煽られ、どこか機体の遠い部分からギギギ、パキパキと嫌な音が鳴っていた。潰されゆく硬めのプラ容器の中にいる気分だった。

下は高層ビルの立ち並ぶ都市と海らしき暗黒だ。何かに祈りたくなった。ガネーシャは障害を排除する神様らしい。それは人生を歩んでいく上での恐怖を取り除くということなのだろう。
太鼓腹で関西弁で話すイメージがあるがそれは確かそういう自己啓発本があったからだ。子供の頃、図書館で借りた思い出がある。借りたのは火曜日の夕方で、借りただけで読まなかったことまで覚えている。

そうこうしてガネーシャその他に祈るタイミングを見失っているうち、飛行機はブルーシートで覆われた異様に明るい建物群の上スレスレを飛び、着陸した。
天気は大荒れで実際飛行機も経験がないくらい揺れたが、着陸だけは不思議とスムーズだった。翼に仕込まれたメカが展開してすごい音を立てた。

すっかり深夜だった。


がらんとした通路をひたすら歩き、ものすごく不機嫌そうな入国審査官に入国カードを渡し、指紋や顔写真を提供してパスポートを投げ返され、とうとうインドに入国した。

チャットラパティ・シーヴァジー国際空港はイクスピアリみたいな匂いがする広大な空港だった。
日本人に話しかけられた。
その人も今日成田から一緒だったのかと思いきや、トランジット扱いとなるギリギリの日数ベトナムでのらくらと過ごしていたのだという。
アーユルヴェーダの名医を探しにインドにやってきたそうだ。
数ヶ月滞在するらしい。

インド人にも色々な人がいるけれど、日本人もぜんぜん色んな人がいるなぁと思った。

成田で消えた荷物と再開し、ゴロゴロしながらエントランスを出ると、霧吹きを直接浴びたような湿気と、化学的な甘い匂い、体感したことのないタイプの暑さ、人と車の騒音に支配された世界だった。植物園と渋谷と未知の雑然としたエネルギーの混ざった世界だった。

モチーフのわからない白い威張った塔がライトアップされていた。

激しい人混みの中、日本で見知った顔が出迎えてくれた。最後に出会ったのは新宿駅の地下だったことを思い出す。
待ち合わせると世界中どこでも出会えるということはすごいことだと思った。

宿泊する知人の家まで送ってくれるドライバーは陽気な男性で、自分の名前は幸せという意味なんだと教えてくれた。
私の名前もフィリピン語で幸せという意味なんだよと伝えると、じゃあ幸せ仲間だねッとなって、和んだ。
安っぽいプラスチックのハヌマーンがフロントガラスに吊られてぶらぶら揺れていた。

知人宅は空港に近い、警備員のいる立派なマンションだった。
リビングに何故か巨大なブランコがぶら下がっていたが、流石に長旅のあとではブランコを漕ぐ元気が残っていなかった。
荷物を解き、シャワーを借りて、ベッドに横になった。

外からは人の声やクラクションの音、タイヤがパンクするような音が時々聞こえたけど、雨のせいか空港から出た時に比べれば拍子抜けするほど静かだった。

窓から差し込む緑色の光の筋を眺めていたら、急にアンドレアにあげた鶴のことを思い出した。

持ってきた折り紙セットは前の前の職場を退職する際、新しい職場で役に立つようにと、親しい同僚が選んでくれたものだった。
新しい職場には馴染めず体調を崩して割と悲惨な形でやめ、一時は家で折り紙を折ることしかできなかった。その時に封を切ったものだ。
だからあの紙には楽しい空気だけではない空気もしみついている。

様々な人や制度の助けで体調が回復し、こうして旅行にもその折り紙セットを持って行った。
同僚が選んで渡してくれた折り紙を、自分が鶴の形にして、今はオランダか、世界のどこか、わからないところにいる。でも、アンドレアが旅の思い出として大事にしてくれていることはわかる。

どこかに飾ってくれるかもしれないし、そのうち思い出も静まって、うっかりつぶしたり、まあいいかと捨てたり無くしたり、また珍しがった誰かにあげるかもしれない。(多分アンドレアは誰かが欲しがったらなんでもあげるタイプである)

この世から消えても、それは無かったことになるわけではないのだ、と納得しようとした。でもやっぱり、この世界のどこかで永遠に鶴の形でいて、自分の知らない空気をしみつかせてほしいと思った。
それは神話みたいなものだ。自分が誰かと不意に出会って親しくなって、そして別れた、その形が世界のどこかにあるという神話。

すぐに眠りについた。
そういえば自宅の布団を出て以降、一睡もしていなかった。


奇妙な音で目が覚めた。
文字で表しにくいけど、「コヒョウ……コヒョウ……」と間隔をあけて、めちゃくちゃ美声の猿みたいな音があちこちから鳴っている。
友人は何かの鳥だと言っていた。黒い猿の体に鳥の頭がついた生物が、町中いたるところに潜んでいる姿を想像した。

その時に書いた想像図。体毛は黒。気性は臆病だが繁殖期のオスは獰猛になる。
マンゴーをかじるので嫌われている。

夜明けのムンバイは曇っていて風が強く、それでも雲の上の日差しは強烈なことがわかる、白寄りの灰色だった。
向かいのアパートでランニングシャツ姿のおじさんが極彩色の祭壇のようなものに向かって何かをしている。カーテンをしめないので暮らしがみえる。昨晩部屋に差し込んでいた緑は向かいのアパートの明かりだったことがわかる。音はない。
これが全部用意された演出かもしれないと思って一瞬怖くなった。

寝室から出ると中年女性が床をモップで拭いている。
どすピンクの洗剤液がバケツになみなみと注がれ、ケミカルな泡が縁からあふれている。
突然現れた客人にもほとんど関心を示さず、まるで前世からやっていた仕事のように淡々と床を拭き、洗濯機を回し、干してそして去っていった。
手際が特別いいわけではなかった。

朝食。
友人へのお土産にかんたん麻婆春雨やレンチンしてお米に乗せるだけで丼になるみたいなやつをたくさん持っていったので喜ばれた。
ムンバイの水道水は飲めない。口にするのは水道水を濾過器で浄化した水か、雨水蒸留水か、ミネラルウォーターになる。
お米も買った水で炊くし、パスタなどもはや貴族の食い物である。麺よりも茹でる水の方が高い。

ドライバーの到着が遅れている。
日本から持ってきたレンチンの親子丼と、噛むと大量の油が溢れ出る甘いお菓子をポソポソ食べた。
親子丼はすごく普通の味だったが、窓の外では猿鳥が囀っている。親子丼の奥から響いてくるようで不気味であった。

ドライバーが到着したので車に乗り込む。
若いイスラム教徒の男性で、昨日はイスラムの礼拝日だったので休みだったという。
ハヌマーンが揺れていて、ダッシュボードにはガネーシャまで載っていた。

本当は陽気な青年だけど別の雇用主に「日本のドライバーは喋らない」と言われたそうで、無口だった。

車はムンバイの市街地を走る。
ムンバイは大英帝国による侵略の玄関口の一つで、キングスクロス駅によく似たターミナル駅や、絢爛な彫刻の施された巨大なインド門などが有名ですが、私たちがいたのは北部の比較的新しく開発された地区である。
なので道は思ったよりも整備されていて広い。開けた土地には巨大なモールなども建っている。高架の電車がずっと横を走っていて、なんとなく京葉道路に似ていた。
だけども、その広い道路いっぱいに、おびただしい数のリクシャーがひしめいている。ずんぐりしたフォルムに、深緑に真っ黄色のラインという配色も相まって太った芋虫に見える。芋虫の大群が蛹になる場所を目指して疾走している。車はその中をスイスイ通り抜けて走る。

建設現場の足場が長い長い竹で組まれている。
舗装の欠けたところから汚い水がこんこんと湧き出ている。
リクシャーよりも大きな牛が牛飼いに連れられて何もしていない。
縁石は日本よりもほんの少し高くてガタガタだ。
知らない企業が知らない俳優を使って知らない商品の広告を出している。

外国だった。

昨日着いたばかりの空港に到着した。
ガードマンが奇妙なボックスに入って退屈そうにしている。
ボックスの縁からアサルトライフルの鈍色の銃口が顔を出していて、その殺人道具としての圧倒的なリアルさに恐ろしい思いをする。

これから井戸を見るためにジャイプルへ行く。
雨も風も強くなってきていた。

2に続く

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