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インド旅行記「3:図形問題を解き続けた子供の見る夢」

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まだ体に東京の時間が残っていて、夜明け前に起きた。
歯を磨く。
水道水はほんのり金属臭く、日本から持ってきた歯磨き粉の慣れ親しんだ甘味と混ざって、友達と知らない人と一緒にご飯食べている時に似た緊張感があった。

金属の螺旋階段を登って宿の屋上にのぼる。
太陽はまだまだ山々の下だが世はすでにうっすらと明るい。全体が紫がかっている。
ところどころ岩肌の露出した山々の稜線は荒々しい。妙に遠近感の掴めない感じも含めてPCのデフォルト背景みたいだと思った。
尾根伝いに、最近できたものなのかも、遥か昔に作られた遺跡なのかもわからない石造りの回廊がのびていて、そこだけが背景と違った。

3種類くらいの鳥が鳴いている。
宗教歌だろうか。どこからか、何語なのかもわからない単調なリズムの唱歌が流れている。聞こえる、というのではなく、流れているというのがぴったりくる感じ。どこまでものびる細長い布がふわふわとたなびいているような存在感の音楽。

家並みの中、そう遠くない場所で突如ガサガサ木が揺れる。
それを合図に、舗装されていない道路を灰色や茶色の背の低い塊が移動する。
野良犬が10匹以上走っている。
犬たちは屋上からは見えない暗がりに集まって、一斉に激しく吠え始める。
ガサガサ音も強くなり、やがて遠ざかって聞こえなくなる。
同時に犬たちも暗がりから戻ってきて、それぞれの居場所へと散っていく。

日本の夜明けが新品の紙だとしたら、この土地の夜明けは巨大でしっとりとした、まぶたのない生物が何重にもなってゆっくりと寝息を立てているみたいな感じだった。
空気は紫色から銅色に変わっていく。
太陽の気配が強まる。

この日も暑くなりそうだった。


怒涛の行程だったのでここらで一旦カフェでもということになり、旧市街地を見る前に新市街地寄りのカフェに行くことになった。

インドの運転は基本煽り運転である。とにかく車間距離を詰めてすきあらば割り込もうとする。隙がなくても無理矢理作る。制限速度の標識を見つけることはできなかったけど多分あるんだろう。多分誰も守っていない。
そして死ぬほど車が多く、死ぬほど渋滞している。

新市街地に近づくほど、車は密度が濃く、クラクションを鳴らしまくっていた。接触しそうになって鳴らす。煽って鳴らす。抜かされて鳴らす。赤信号待ちでも鳴らす。
リクシャーと並んで特に目立つのはTATA製の、老牛のようなトラックで、各々黄色やスカーレットの派手なペイントを施して、排気ガスをバンバン出しながら行き交っている。
レジ袋削減ごときではまったく太刀打ちできぬ温暖化の最前線を感じました。

荷台に人も乗る。

目的のカフェのある建物に着いた。ブティックが併設された高級カフェだという。ガイドブックの内装写真もおしゃれ。

だが、いま目の前にある建物は古い団地を適当なとこでトリミングしたような、どす灰色の古めかしいビルである。

周囲には暴動の跡みたいな空き地が広がっている。
野犬が泥水で涼んでいる。
ドライバーは車に乗ってどこかへ消えた。

昨日のガイドとの思い出が頭をよぎる。

恐る恐るエレベーターを登る。
黒を基調とした落ち着いた照明、統一感のあるシンプルな調度類。談笑する外国人観光客……。
ここだけ南青山だった。

パリッとした制服を着込んだ店員に金を払えばサービスが提供される。
おいしいコーヒーも、綺麗なケーキも、食中毒の心配のない生野菜も、どれもよく「知っている」。閉ざされた空間で知っているものに囲まれて、心のある部分が潤いを取り戻しました。
コーヒーは軽めの口当たりで、苦味・酸味は比較的少なめだけど香りが良く、飲みやすいいい感じのコーヒーでした。これは後々行くムンバイのコーヒー店でもそうだったのでインド全体の傾向なのかもしれない。
窓の外では野良犬が二匹、灰色の肉片を奪い合って喧嘩していた。

おしゃれカフェの外には荒地が広がる

カフェを出て旧市街地へと向かう。
境界をぐるっと城壁に囲まれた、要塞都市めいた町である。
城壁はすべて褪せたピンク〜ベージュあたりの色で統一されていて、乾いたテクスチャーもあいまって古めかしいラブホテルの内装を思い出させた。

城壁に開いた大門に差し掛かると、若干打ち解けたドライバーが「ウェルカムジャイプル」と嬉しそうに言う。こちらもなんか嬉しくなる。
前回省略したが、昨日はアンベールに行くと告げると、なぜいきなり山の方に行くんだ……?という感じだったのだ。
インドのドライバーは不満があっても口にしないが、態度には出す。
「門をあるいてくぐってみるか?」
「あ。イエス。」

勧めに応じて一度車から降り、門を歩いてくぐってみた。徒歩で旧市街地入りである。
ちょっと離れれば素焼きの陶器に見える城壁だが、直近で見てみると古い小学校の壁にザラザラの塗料を塗ったような質感だった。
分厚くて、単なるゲートというよりは縦にぐーんと引き伸ばされたトンネルといった雰囲気で、あらゆる隙間に新旧入り混じったゴミが詰め込まれ、カビと生ゴミ、および不潔な公衆トイレの匂いがした。
ゴミの組成としては圧倒的に紙ゴミが多かった。日本ではあまりみたことのない、触れれば見えない棘が無数に刺さりそうなゴワゴワの紙。それからパンパンに膨らんだ黄色や灰色の謎のビニール袋。
老人が精緻な彫刻のなされた柱に向かって静かに立ちしょんべんをしている。

ジャイプールはとにかく立ちしょんべんをよくみる町だった。季節なのだろうか。
写真撮影もはばかられるため映っていませんが、描写される風景のどこかに立ちしょんべん男が必ずいると想像しながら読んでいただけると幸いです。

「ワンダフル」とか言いながら車に戻る。
マハラジャの手による計画都市のメイン通りが開ける。

旧市街地は高さも大きさもガタガタの建物と、無数の人間ひしめくごちゃついた街並みだった。幼稚園児が段ボールで作った秋葉原電気街みたいだ、と思った。
無理なUターンを試みたリクシャーをほとんど轢きかけながら、「これでも少ない方だぜ」とドライバーが言った。路上市場がお休みの日だからね。

名所「風の宮殿」から眺めた街並み。
横断歩道はないに等しいので歩行者は気迫で渡ります。

大英帝国の支配下にあっても比較的インドらしさをとどめた地域だという。そのためか、城壁の中は上記「風の宮殿」も含め世界遺産が密集している。
街全体が世界遺産と言ってもいいんだろう。
世界遺産は日本以外ではあまり有り難がられないという説をよく目にするが、それでも世界遺産スポットはなんとなく得意そうな門構えをしており、観光客がたくさん訪れていた。ゴミもいっぱい落ちていた。

観光客のほとんどはインド人だった。
でも、ゾロゾロと漠然と列をなし、友人と喋ったりカメラを向けるその感じ、チケットを購入する手つきの微妙な手慣れなさ、はしゃいでいるようでどことなく虚ろな目つきの全てに見覚えがあり、観光客という状態は国民性を越えるんだ、と思った。

水たまりで気持ちのよい犬。気温は38度くらいだった。

市内にある有名遺跡「ジャンタル・マンタル」にたどり着く。
ここも例に漏れず世界遺産だという。
車から降りる。
全体的に若干斜めに傾いたチケット売り場の周囲には観光客と同じくらい、野生のガイド、謎の客引き、孔雀の羽を大量に掲げたおじさん、山積みのとうもろこしの横で黙って向かい合っているお婆さんなど、どこからきたのか、どうしているのか、どこへ行くのかも全くわからぬ無数の「在」がその場を満たしていた。

他人の他人さに圧倒されながらインディーズのガイド(俺の口利きで入場料を割り引いてやるよ)をかわしてチケットを購入し、施設内に入った。日焼けした太田光に似たその男は我々の無視する姿勢に不慣れさを感じ取ったのか、ゲートギリギリまでついてきた。
ピッタリ横をついてくるのではなく、一定の距離を保ちながらわたしたち一人ずつの横顔を順番に眺めていた。ただ珍しいだけだったのかもしれない。


夏期講習とかで図形問題を一日中解き続けた子供はこんな夢を見るに違いないと思った。
真っ青な空の下、白っぽい平面に、直角三角形や半円、60度に傾いた円などが密集している。同じ見た目の物体がいくつもまとめて置かれていると思えば、突然どんと意味不明な窪みが穿たれていたりする。すべてに細かな目盛りが刻まれている。
それらが場所によって種類分けされるでも、てんでバラバラに置かれるでもなく、規則性を予感はさせるがそれがなんなのかわからないとてもいやなランダムさで置かれていた。素数の列に感じるのと同じ不気味さ。

しかし夢っぽさを醸し出しているのは何よりも、一つ一つの物体のその異様なサイズ感である。
高さ30メートルの三角定規を見たことがあるだろうか。
しかもその三角定規には同じ規模の半円(何らかの数学的理屈に基づいた傾き方をしている)が突き刺さっている。
現実のある場所に確かにそれがある。

なぜこんなものがあるのかというと、ここが巨大な天体観測所の遺跡だからだ。
この観測所を作った人物は有能な科学者で、しかもこの都を作ったマハラジャ本人でもある。俺の都、俺の観測所である。
だから誰かの見る夢みたいなのかもしれない。

今も何らかの目盛りが太陽から何らかの情報を抽出し続けていて戦慄した

しかしとにかく尋常ではない暑さである。
砂漠地帯に位置し、周りが全て石なので当然である。実質砂漠の暑さといえよう。
ココカラファインで買った塩分タブレットを数分おきに舐め続ける。
この後もあらゆる場面で活躍し、日本から持ってきて最も役に立ったものがこの塩分タブレットだった。
タブレットは甘すぎずしょっぱすぎず、口の中で程よく崩壊する。日本は菓子にまで不快な気持ちにならないようめちゃくちゃ気を使うんだな……と思った。

蟹座の時期に使用する精密な観測器に描かれためちゃくちゃ適当なカニ。
マハラジャは現実のカニに興味なかったんだろうな

アンベールエリアの宿へ戻る。車の合皮のシートに水が溜まるくらい汗みずくになっている。

夕食をいただきながら宿のオーナーと話す。

「どこに行ってきたの?」
「あー、ジャイプル。ジャンタルマンタルとか」
「こっちは静かでいいでしょう。向こうはうるさすぎるよね。クラクションとか」

クラクション、うるさいと思ってるんだ……。
でも、そういうものをそのままにしておくのもある種の知恵だと思った。
インドでクラクションのオノマトペは「キーキー、トゥートゥー」である。

宿の屋上へ登る。山の空気はぐんぐん気温が下がり、過ごしやすくなっていく。
別荘地域なのか、普請のしっかりしていそうな家々が立ち並んでいる。
そのどの家のベランダにもそれぞれ人が出ていて、携帯を見るでもなく酒を飲むでもなく、薄着で椅子に腰掛け、夕方が夜に落ち込んでいく中に、ぼんやりとただ居る。
目が離せなくてじっと見ていると、こちらの視線に気がつき、ゆっくりと手を上げて挨拶してくれた。こちらも挨拶を返し、またそれぞれの視線に戻る。
戸口には犬が数匹屯して、人と同じようにいる。
どこからか、朝流れていたものと同じテイストの、不可思議な歌が流れている。

その全てが弱い金色を帯びている。

写真もメモもとる気になれず、ずっとその時間の中にいた。
この瞬間のことをずっと覚えているだろうという確信があった。
アブがたかってきたので部屋に戻った。

部屋に入ろうとすると、隣のドアがあいて中から宿泊客が出てきた。日本人二人。
「こんにちは」と挨拶する。
他人と交わす儀礼的な「こんにちは」の、その控えめな柔らかさがこの乾燥した広い空気とあまりにも似合わず、お互いにちょっと笑って、特に目も合わせずに別れた。
翌朝の朝食どきにはもう彼女たちは宿を出ていた。
ついに井戸を見に行く日だ。

4へ続く

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