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インド旅行記「5:聖なる水は畑の匂いだった」

新学期で仕事が忙しかったり、作品を執筆していたため前回からかなり時間が空いてしまいましたが、再開します。

↓前回までの記事はこちら↓

高級ホテルの高級なベッドではっと目覚める。
バルコニーから丹念に手入れされた芝が見え、人の手で制御された自然物を久々に見てぎょっとした。

レストランホールへ行くと今日はブッフェである。
我々を見つけたウェイターの方が椅子を引いて優雅に誘導し、座らせてくれる。
人生であまりにもこうした待遇に慣れておらず、同じことを思ったであろう友人と、着席と同時に「えへへ」みたいに微笑みあった。バイト中の友達にご注文は?される瞬間と同じ種類の「えへへ」だった。

普段から椅子を引かれ慣れている人ってどんな気分なんだろうか。
ドナルド・トランプには幼児みを感じるので気分も大体想像がつくし、マハラジャもそのギンギンのロイヤルオーラ故に逆に想像がつく(ディズニー映画のプリンセスに感情移入するのが簡単なのと同じ感じで)。
でもたとえば日本の皇族は一見、あんなに我々と世界観を共有してそうな、オフホワイトな感じでも、椅子に関しては相当引かれ慣れてるんだよな。
でも、そんな気配をおくびにも出さない彼らには、その普通感とキャプションとの落差が醸し出す掴みどころのない迫力がある。それもまたロイヤルな雰囲気を作り出すある一つの戦略なのだ。
これも戦略だし、あれも戦略なのだと、プールサイドでナメクジを見守りながら考えていた。ナメクジはオレンジピール入りのチョコそっくりで、驚くほどすばやい。

マラリアの流行地である。注意書きを厳粛に受け止めた。
蚊のイラストもどことなく死神っぽい雰囲気を感じる。

ホテルの目の前に湖が広がっていた。
静かな山間、透明な湖に山荘……的字面だが、スピーカーからEDMアレンジされたトラッド音楽が爆音で流れ、観光ラクダを連れたおじさんがたむろするエネルギッシュな湖畔だった。ラクダは救急車並みに大きく、湖は遠浅でうっすら緑のヘドロに覆われていて、猛烈に立会川っぽかった。

なめし革のようなぴかぴかの肌のおじいさんが腕を振ると、少し離れた湖面が沸き立つ。魚に食事を与えているのだ。背筋をのばして、動きに一切の無駄がない。湯布院で鯉に餌をやるようなふにゃけた感じがない。その姿はほぼ「種を撒く人」である。
あまりの厳粛さに見入っていると、1歳くらいの幼児を抱いた笑顔の女性が近づいてきた。我々一人一人に順番に、片手を差し出す。

無視を決め込むと、笑顔は消え何事か早口でまくしたてる。
抱かれている幼児も笑顔で自分の手を指している。
迎えの車に乗り込む直前、彼女に10ルピーを渡す。
それまで喋り続けていた彼女はぱたっとチャンネルを切り替えたように、無言でその場を去る。
その表情が東京で毎日のように見ている何かに似ていたが、思い出せなかった。

インドに着く前から、人にお金を渡した途端、他の人がいっぱい寄ってきて収拾つかなくなったらどうしようと思っていた。
しかし結果的には別に、誰も我々に興味を示すことはなかった。10ルピーだと皆知っていたからかもしれない。

車の中であの時のあの表情が、改札を通る通勤客と同じだと思い当たる。
瞬間、そう考えた自分を恥じた。

ジャイプールは暑いがムンバイよりバイクが多い気がする。野良犬も暑そうである。

ムンバイへ戻る飛行機までまだ時間があったので、古いヒンドゥーの神殿に向かった。
いつも屋台や民家に行ってしまうドライバーもヒンドゥー教徒ということで、今回はついてきた。
相変わらずその場にいる人と、同じ高校卒くらいの距離感で会話している。テンションは決して高くはなく、だらっと始まりもなく話しはじめる感じがとても昔馴染みっぽい。

チケットを買ってゲートをくぐろうとすると、道の真ん中に茶色い巨牛が立っていて、それがゆっくり近づいてくる。
友人たちはもうゲートの向こうに行っている。

明らかに自分を目指しているおとなしい生物を無下にできずにいると、ついに目の前まできて、私の腿に頭を擦り付けてきた。
飼い主だか守衛だかわからない人が、笑いながらしきりに何か言っている。「なでてやれ」的なことだということはわかる。

頭をかいてあげた。丁寧に削られた角が鉄のように黒く光っている。さらに掻いて欲しいところを擦り付けてくる。そこもかく。エメラルドとターコイズの蝿が硬い毛の下から素早く飛び出す。
インドに来て数日経つが、生き物に触れるのはこれが初めてだった。
生き物は柔らかく暖かい。

放されていない牛もたくさんいた。みんな同じ目をしている。

ゲートをくぐるとすぐ、左右に巨大な石造りの建造物が広がる。一つ一つが宮殿のような風格を放っているがいつ何のために建てられた建物かはわからない。
隙間から苦行僧風の男たちが顔を出し、熱心に客引きをしている。

その先の山道をさらに登った先に、聖泉はあるという。
豪華な建物が途切れた先、崖をそのまま削ったような狭くて険しい参道を登る。

わからないすごい建築
どうでも良さそうな場所に凝った壁画があったりもする。

参道はとても濃厚なカブトムシの匂いだった。
足元がふんわりしたと思うと、足がバナナの皮と腐ったバナナと衣類などが渾然一体となったものを踏みつけている。
一つではなく、無数に山道に山積みになっている。どう考えてもそれが匂いの元だ。

すさまじい見た目で写真を載せるのは憚られるが、服と一緒に悪くなったバナナ一房と燃えるゴミを洗濯機にかけてしまったよ……みたいなのがいくつも石段に落ちている。
匂いはまだいいけれど、その混沌からは無限の大バエ小バエが湧き出ていて、呼吸を自粛せざるを得なかった。

まあまあの段数を登っていくことになる。

なぜこんなにもバナナが落ちているのかというと、せっせとバナナを運ぶ人がいるからだ。
参道を登り降りする間だけでも三人の男たちが両脇に新鮮なバナナをいっぱいに抱えているのを見た。

参道の脇に石造りの大きなプールが現れる。水は藻と油でエメラルドグリーンに輝いている。
ドライバーはもうとっくに先へ進み、姿が見えなくなっている。
プールと山道を隔てる適当な手すりに男がバナナを置いていく。男が去るよりも早く、日本猿より一回りほど大きい猿が数匹現れ、バナナの前に腰を下ろす。
器用に皮を剥き、中身を平らげる間に皮は手すりから滑り落ちて混沌の新鮮な一部になる。

生物が持ち込んだものを別の生物が食べ、残ったものからまた別の生物が生じる。場と石だけは変わらないが、その器の上にある全てのものがリアルタイムで生まれたり腐ったりしている。
それは世界のミニチュアだった。

右奥の建築はそのまま崖の中の洞窟と繋がっていて、
水面が反射した光が内部をゆらゆら照らす。中に滝があるらしく落水音が反響してくる。

参道を登っていくと銭湯の浴槽くらいのプールがあり、20人以上の老若男女が浸かっていた。沐浴である。
ガンガーの沐浴は泥と灰のイメージだけど、この聖蹟は緑だ。みんな服を着たまま入っていて、カラフルなサリーが真緑の水面に花のように広がっていた。
混沌の中の服はこれか。
じろじろみていると、ティーンエイジャーの少年が人懐っこい笑顔でこちらに手を振ってきた。手を振りかえすと途端に、緑の水を顔めがけて思い切りかけてくる。
聖なる水はよく耕された畑の土みたいな匂いだった。少年は悪意のない笑顔でこっちを見ていた。

猿はバナナの房から美味しそうなのを選んでいた。
スーパーで人が野菜を選ぶ手つきだった。

参道を登り切るとようやく聖なる泉だった。
泉と言っても、12畳ほどの小さな正方形のプールである。沐浴できる下流のプールとは違い、柵に覆われている。
その柵の上に大勢の猿が集まり、次々と飛び込みを繰り返していた。猿の沐浴場である。堂々と飛び込むものもいれば、躊躇しているうちに落ちてしまうようなのもいた。

何がどう聖なるのか、何もわからなかったが、それでよかった。

飛び込み躊躇猿
奥の建物は神殿で、ここでも本物かわからない神官が積極的な客引きを行っていた。

砂漠エリアとはいえ雨季であった。
ぱらぱらと雨の振りはじめる中、飛行機に乗り込んだ。
機内でニューバランスを履いた恰幅のいい少年が「こんにちは!」と話しかけてきた。
家族旅行でジャイプールを訪れ、ムンバイに帰るところだという。インドについてから聞いた英語の中で、最も綺麗な英語を話していた。
席に戻った後は、おとなしそうな弟に早口で何かを得意そうに教えていた。

飛行機の中で折り紙の「くじゃく」を折り、降りるときに兄弟にプレゼントした。孔雀はインドの国鳥である。
とても喜んでくれて、そのことを私も喜び、彼ら兄弟の両親、祖父母まで交えてみんなで喜び合った。
同時に、アンベール城でガイド料を求めてきた青年のことを思い出した。あの黒い手と輝く目。最後にかけてきた意味の伝わらなかった言葉。

土砂降りをくぐりぬけ、ガードマンのいる広くて清潔なマンションに帰った。

彼らがまだとってくれていたら、とてもとても嬉しい。

→6へつづく。

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