ずれたところが魅力
ボブ・ディランの『Blowin’ in the Wind』を聴いていて、失礼ながらちょっと演奏とずれてると思ってしまいました。でもそういうところがいいんです。
外国のジャズやラップって伴奏と合ってる?みたいなところがありますが、それがよかったりするんですよね。観客の手拍子もずれてるぞっていう演奏もあります(笑)
絵でも、写真のように正確に描くよりも、むしろそう描こうとしてずれていってしまうところが個性であり魅力なのかもしれません。
ってことは、人も同じで……なんて、社会とうまくなじめてない私は言いたくなりますが、ずれぐあいにもよるんでしょうねwww
パズルのようにカチッとはまる世界は、気持ちよくスッキリします。
でも、ずれることによる隙間や違和感になにか別世界につながっていくような、世界が広がるようなものがあるように感じます。すっきりしない気持ち悪さはあるんですけど。
人ってそもそもきっと、ぞれぞれが見ている世界がずれていて、たとえば同じものを写真を撮ってくださいとお願いしたら、違う写真が撮れると思うんです。
大きかったり小さかったり、角度が違ったり、撮る高さが違ったり。
もっというと、見えている色とかも違うのかもしれません。
でも同じものを見ているということでないと社会が成立しないからそうしているのであれば、そのベースは「実は違うものを見ているんだよ」とお互いに認識しあえていたら、世界がやわらかくなるなと思いました。
そういいながら、「自分は違う人を受け入れます!全然大丈夫ですよ!」と断言できないです。すいません。
「ま、そういうものなのかぁ」「なんか面白いかも」くらいの受け入れからできたらいいかなと思います。