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できる、けどしない。

「自分はこういうことできる、けどしない。
 自分の中でこれはしない、というボーダーが必要なんです。
 そのことがやっぱり、自分という人間を生かしていく、社会で立っていく、大人としての立ち姿だよね。
 自立した人間は自分の中にそういう柱をもっていることだと思う。」

(『菜の花の沖縄日記』坂本菜の花(図書出版ヘウレーカ)珊瑚舎スコーレの校長の言葉)

これは自分の知識や技術の出し惜しみをするとか、人を助けないとかではなく、例にあがっていたのは「原発はつくれるけど、しない」などです。

「しない」ことを自分の中にもっておくこと。

それは想像することかなと思います。
つまり「それをすることによってどうなるのか」を考えることです。
「できること」が効率的だったり、安価だったり、一面からみると良いことだったりするかもしれないけれど、その先を考え「しない」ことをもつ。


松尾貴史さんが新聞のコラムのなかで、
「想像力とは「思いやり」」だと書かれていました。

いまや未来の人たち、そして自分への「思いやり」。


いま、「できること」はどんどんやっていこう、スピードが大事という世の中で、「できる、けどしない」というのは立ち止まることです。この態度をとることはちょっと恐いし面倒くさいです。

それに、考えたり想像したりする余裕がない感じがします。
いろんな情報がたくさん入ってきてもう考えたくない…

私はいっぱいいっぱいになるとよく本やゲームなどに現実逃避するのですが(笑)、それはきっとすべてを考えようとか、答えを出そうとしているからかもしれません。

ではなくて、「どんな未来を想像するか」からはどうでしょうか。
「考える」というと眉間にしわをよせて…って思ってしまいますが、そうじゃなくて、ワクワクする未来を想像し「じゃあこれはいやだな。しないでおこう」とか、そんなところから考えていくとつづけられそうです。

思いやりのある人、なれたらいいなぁ…www


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