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1年の長さ 夏
暑い。
8月になるとぐんぐんと暑さ厳しくなるのは毎年のような気がするのだけれど、「夏ってばこんなに暑かったっけか…」とぐったりするのもまた、毎年のことのような気がするもので。
1年という時間は大人になってからはとくにあっという間ではあるけれど、夏の暑さを身体が忘れる程度には十分な長さなのであって、人間にとって実に「ちょうどいい」時間単位なんじゃなかろうかと思うこれもまた、毎年のこと。
…という出だしの「夏」を「冬」にそっくりそのまま置き換えたものを書いたのが今年の正月で。
→ 「1年の長さ」
華麗なるセルフ・オマージュ、もとい、使いまわしなわけだけれども、まあほんとに思うことでもあるので誰に責められるいわれもないわけで、案の定また今年も「夏ってばこんなに暑かったっけか…」とぐったりしつつ、背中の服の中をつたい流れる汗とともに、身体で感じる1年の「ちょうどよさ」。
正月のときにも書いたことではあるけれど、
1年という時間は、望む姿に自分を変えるのにはきっと短いけれども、思ってもいなかった姿に変わってしまう程度には、十分に長い。
去年の夏といえば仕事で泥沼のような生活を送っていてまったく出口の見えない状況で、よもや1年後にnoteでこんなふうに自分に振り返られるなど予想だにしていなかったし、その前年の夏は転職したてで希望に燃えていて、よもや泥沼のような生活にはまってゆくなどこれも考えもしなかったのだし、その前年は悩みながらも家族と穏やかな生活を過ごしていて、よもや転職して希望に燃えるようなことになろうとは思っていなかったし、その前年は…(略
それはお前がふらふら生きてるからだろうという有難いご指摘が聞こえてきそうではあるけれど、良し悪しは別にして、たとえあらかじめ目指したように進んだわけでなくとも、この変化そのものが、1年という時間を生きた確かな証だと思うのであって。
今年の夏はちょうどまたいろんなことが動き出している感じもあって、来年の夏にはまた「まさかこんなことになっていようとは…」と振り返ることになるのだろうと今のうちから予感がしているのだけれども、そんな予感さえも超えてゆくと考えるのがこの話の筋だろう、とも同時に思う。
とりあえず健康に生きてるといいな。
「できるのは、点を後からつなぎ合わせることだけです」っていうあの人のアレはもう手垢つきまくってしまった感じもあるけれど、後から振り返ったときにちゃんと見えるように、しっかりと濃いめの点を打っていきたいと、汗を拭き拭き思うのでした。