東京でADだったとき①
朝の5時に、会社の椅子で目を覚ます。丸椅子を3つ並べて、毛布をかけて横になっていた。朝8時の新幹線に乗らなくてはならない。ディレクターは品川駅から乗ってくるため、移動しながらの打ち合わせ。台本は昨日擦っておいた。カメラの設定も確認し、テープも用意した。カンペとスケッチブック、先方への手土産、取材の許可書も持った。眠い目をこすりながら、電源をつけたままのMacbookを見ると、深夜の1時にディレクターから台本の変更が来ていた。ため息をつきながら、添付されたWordファイルを開く。赤字で修正箇所が記載されている。昨日のうちに刷っていた台本を廃品回収ボックスに投げ込み、再度Wordファイルを印字する。その間に手持ちのバッグに詰め込んだカンペを取り出し、文言を確認。変更部分に、白い布のガムテープを貼り、プロッキーで修正の文言を書く。数メートル離れたディスクでは、同期のADがいびきを立てて寝ている。昨日は26時(午前2時)まで編集だったらしい。もう少し離れた机では、ディレクターがディスクトップのMacの前で無表情でオフライン編集をしている。顔面だけが液晶の光に照らされて青白く浮かんで見える。カンペの修正が終わっても、台本はまだ刷り上がらない。先に社内にあるシャワールームに行こうと、机の引き出しから常備されているお風呂セットと24時間営業の価格の殿堂で買った3枚で998円のパンツと靴下を抱えてシャワールームへ向かう。もう3日は自宅に帰っていない。鉛のような疲れが身体中に溜まっているが、2泊3日で地方のロケには行かなくてはならない。仮払いが足りないのかもしれないという不安がよぎるが、頭は半分働いていない。様々な感覚が麻痺している。残業や定時、休日出勤などという概念はとっくにない。私は、東京で ADをしてた。
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