たまたまファッションでも3
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専門学校はもちろん親には却下された。
私には姉がふたりいて、そのふたり共々、国公立大学に現役入学に主席で入学ときたもので、私も当然大学進学が当たり前で高校に進学するものだと思っていた。
今からすれば当たり前の説教で、私だって子どもがそういうのならせめて高校は卒業してから考えなさいと言うな。
親の押しもあり、高校に進学することになったが、頭の中フリルとレースの世界で、受験勉強もやる気もないし、内申で行ける所に決めてそのまま進学した。
私の残念な頭は周知レベルだったし、行ける高校であればどこでも良かったというのも本音としてあった。合格の通知は先生から知らされるよりも、同級生から知った。
漠然とこれで自分が好きなものへ直進できると思ったし、古風な制服もそれなりに受け入れることができていた。進学する高校がカトリック系なのも、幼心にロリータっぽくいいなとか思っていた。
そこまで受験生らしいことはせずに、受験期をクリアしてしなったため、後は自分の空想の世界でロリータファッションを楽しみながら漠然と同じ高校で同じ趣味の子いればいいな、と思っていた。
たまたま隣の席の子がロリータファッションやパンクファッションが好きな子で話しも盛り上がったし、その頃には雑誌KERAも全盛期を迎えて毎月ふたりで読みながらああだこうだ言うのも楽しかった。
中学時代と違って、やる事をやればある程度の事は目を瞑っていてくれる先生方も多く、私は勉強の楽しさも持ち、定期試験や模試ではわりと良い成績を出していた。
知り合った友人の幅も広くなり、ロリータファッションを否定したり馬鹿にされたりせずに済んだ。
むしろ、個性として面白く思ってくれる人が多く、一緒に遊ぶ時に着ていっても引かれることもない
オタク呼ばわりされない、そんな人達にめぐまれていた。
高校時代の記憶そこまでで、2年時からは私は個人的な理由もあり不登校と保健室登校を始めた。成績は当然下がりに下がった。もちろん親は成績下がった事や私のファッションについては否定的、それらが相まって気が狂ったのだと考えて、公正させるために躍起になっていたように思う。
ファッションに関して、親に雑誌を見せ理解してもらおうと思ったが無駄だった。世代差というよりもファッションに関してはまず学校に行けるようになっても理解出来ないという感じで、何度も衝突した。未だにファッションに関しては理解してもらえてないが、あまりにもしつこく続けているため半ば諦めている様だけど。
成績が落ちに落ちて、さて大学受験となってやはり専門学校で専門的学びたい、と思っても縫製が苦手すぎて入れたとしても私がついていける訳も無い、大学に進んでその後からでも遅くないと何度も諭された。それなら好きにやらせてもらえるまで、私は大学へ進み、ドロップアウトして行けばいいと思っていた。縫製が苦手でもショップ店員になって近くでロリータファッションに関わる仕事探せばいい、と本気で思っていた。
何とか大学受験を乗り越え(というか行きたい大学ではなく行ける大学を探したため碌に受験勉強なんてしなかったけど)、念願の1人暮らしになる。
ここからロリータファッションは爆進していく。
オリエンテーションからロリータファッションのアイテム付け、入学二日目からはロリータファッションで通学した。
もちろん、周りの同期生からは浮いていた。