あなたは「不可説不可説転」をご存知だろうか?
一般的に漢字文化圏における数の最大の単位は「無量大数」といわれているが、『不可説不可説転』は、計算もできないほど大きな数を示すことで、悟りの功徳の大きさを表したものと云われている。
仏典に由来する仏教用語が源流と言われているが、日本でも江戸時代『塵劫記』の寛永8年の版で初めて登場したらしい。
現代人が日頃使っているのは「兆」までで、かろうじてイメージできる単位は「京」ぐらいまでだろう。
因みに「無量大数」は100京の100万倍らしい。
そもそも言葉(文字)にするということは共有すると言うことだ。
この単位を使って先人達は何を数えたのか?
人間の身体を構成している分子の数か?
はたまた、宇宙の星の数か?
江戸時代以前に概念としてこの巨大な数字の単位を持っていたことは、驚愕するしかない。
十
百
千
万
億
兆
京
垓
𥝱(杼)
穣
溝
澗
正
載
極
恒河沙
阿僧祇
那由他
不可思議
無量大数
不可説不可説転
先人達の驚くべき想像力はまさに計り知れない。
ところで、江戸時代にこんな短編落語があった。
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ある男が大きな茄子の夢を見たと友人に言った。
それを聞いた友人の八兵衛が両手を広げて
「その茄子はこれくらい大きな茄子だったか?」と尋ねると、
男は「そんなもんじゃない」という。
「じゃあ、たたみ一畳ぐらいか?」
「そんなもんじゃない」
「ではこの家ぐらいあったか?」
いや、そんなもんじゃない、もっと大きい」
「じゃあこの町内くらい大きかったか?」
「いや、まだまだそんなもんじゃない。
たまりかねた八兵衛は
「じゃあ、いったいどれくらいの大きさだったんだ?」
そこで男は答えた。
「強いて言えば、暗闇にヘタをつけたような・・・」
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このオチはまるで暗闇に質量があったかと思わせるようなすごい想像力だ。
この落語一つとってみても、現代人の『想像力』という力は明らかに退化していると言わざるを得ない。
その理由は言わずもがな・・・・・
#和文化デザイン思考 講師
成願義夫