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古典落語が日本から消えるかもしれない。
近年、若者の落語離れが著しいらしい。
先日、YouTubeで若手の落語家がこのままでは日本から古典落語が消えてしまうと嘆いていた。
最大の理由は古典落語で語られる言葉が若い人達に、理解できないからだという。
落語が大好きな私としては、ショックだ。
例えばお金の数え方。
「歩、朱、文」など、ピンと来ないらしい。
だからと言って、古典落語で貨幣価値だけ現代に置き換えるのも変だから正統派の落語家は置き換えない。
さらに、名詞では「いかけや」「あんどん」「質屋」「岡場所」「半鐘」「ももひき」「腰巻」「たいこ持ち」「長家」「富くじ」など、若者が理解できない言葉をあげたらキリがない。
さらに、落語によく出てくるお決まりのフレーズも理解できない。
例えば「四万六千日、お暑いさかりでございます」
あるいは「あいつと俺は吉書を交わした中だもの」等々。
とにかく、古典落語は、子ども達には理解できない言葉のオンパレードだ。
歌舞伎のように視覚的に楽しめる要素があれば良いのだけれど、落語は見た目も地味だ。
せめて初代の桂春團治のように破天荒な生き方をして、世間を騒がせ、存在そのものが派手で目立つような人がいれば良いのだが、近年は悪い意味で型にハマり、お利口さんで小さくまとまってしまう落語家が多いと思う。
厳しく言うとプロの「落研化」が進んでいると思う。
つまり、「落語家に成りすます」。あるいは「落語家を演じる」こんな人が増えているのだ。
これでは、客に真の感動は伝えられない。
若者の落語離れは仕方ないかもしれない。
ところで、2024年、アメリカを中心に大ヒットしてエミーショーを最多受賞したドラマ「SHOGUN」は、ご覧になった方も多いと思います。
アメリカで作られアメリカ人向けに放送されたドラマなのに、主な登場人物は全て日本人、セリフの7割以上が日本語(字幕、吹き替え無し)、出てくる言葉は時代考証をできるだけ取り入れた古い日本語だ。
セットや衣装もこれまでハリウッドなどで作られた「なんちゃって日本」ではない。もちろん中国と混同するような陳腐さもない。
私も観たが、感心するほど古い日本の「本物感」を演出していた。
近年、外国人の着物ファンが増えたり、外国人が日本の文化的価値に関心を持ち、「SHOGUN」を観て感動している現実は、まさに日本の現実とは逆行しており、日本は「灯台下暗し」になり始めている。
さてさて、100年後の日本はどのようになっているのやら(笑)
#感動価値の創り方講座 講師
#和文化デザイン思考 講師
成願義夫
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