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走る卵屋さん③(高校時代-生活)

高校に進学した1年目は下宿生活。初めて親元を離れての生活だったが、これが楽し過ぎた。

高校入学の前に遠方からくる生徒のために寮、下宿の説明会があった。
確か自分は寮を希望した気がするが、抽選で外れて下宿生活をする事になった。
しかし、これが大正解。自分たちが入る事になった下宿は元旅館の建物。学校が新しく用意した下宿で先輩もおらず、1年生のサッカー部8名で生活する事に。しかも管理人さんも常駐はしておらず。自由✨
朝は業者さんが持ってきてくれる給食弁当。これは不味かった。(笑)学校から帰ると契約先の喫茶店にみんなで行く。これはめちゃくちゃ美味かった。
常に同級生と行動を共にする。
夜はみんなでモー娘のラブマシーンを熱唱した。学校では寮下宿生集会というのが定期的に行われていたが、ある時『近所からクレームがきている下宿がある』と言われ、絶対自分たちだと思ったが…結果的には違う下宿の事だった。むしろ自分たちの下宿は『よく挨拶ができる』と近所の方に褒めていただいてたそうだ。あぶねー笑笑
風呂の順番はじゃんけんで決める。ウイイレ大会も楽しかったし。洗濯、掃除はもちろん自分たちで。時々、木のスリッパを思いっきり投げつけるようなケンカもした。

試験期間は徹夜で勉強することも(ただの一夜漬けです)。マイペースな同部屋の友達が僕が勉強している最中にも関わらず電気を消して寝始めたり…陸上部の下宿に行ってなぜか下宿の外で陸上部と一緒に勉強したことも。
夜は仲間とトレーニングに出かけた事もあった。下宿の近くに見える湖を一周しようと出かけるも思いのほかデカくて一周出来ず…。それどころか気づいたら迷って空港の滑走路を走っていた(よく見つからなかったな、と)。最終的これは無理だという事でランニング中に発見した運送屋さんの事務所に飛び込み『ここどこですか?』と聞く始末。優しい運転手さんが下宿近くまで送ってくれた。

2年生になる頃、実家から通ってみたいという欲求にかられ下宿をやめた。下宿が嫌だったわけではない。
実家からの通学は大変だったけど色んな意味で鍛えられた。学校に通うためには最寄り駅まで自転車→電車→自転車→学校みたいな感じだった。実家から最寄り駅までは山を一つ越えて自転車で40分。雨の日も風の日も。部活の朝練に行くために朝4時台に家を出て行っていたような記憶がある。

3年生になる前後ぐらいで「自転車を40分こいで駅まで行くなら、学校まで行ってしまえ」みたいな考えに変わってきて結局全部自転車で行くことにした。家から学校までまぁまぁとばして1時間半。学校に着いたら足がパンパン。絶対に部活に悪影響だったと思う(笑)そして行きも帰りも何故かいつも向い風だった。

まぁ親は大変だっただろうな~(汗)感謝感謝。

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