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日本がすり減っていく
農業の倒産数が過去最高だそうで。
以前、ウシを減らしたり、牛乳を廃棄したりする報道もありましたよね。
この状態で輸入品が制限されたり、食料品の価格を上げられてしまったら、日本は兵糧攻めを受けることになります。
つまり言いなりになる。どんな条件も飲むことになる。
「食料供給困難事態対策法」も疑問視されてますよね。
農家とか生産者がもう減り続けていく気がします。
例えばこれを「noteクリエイター」に置き換えてみましょうか。
国からnoteクリエイターに対して「そんな記事はやめて今後は自民党を賛美する記事を書きなさい。拒否したら罰金50万円です」と通知が来たらどう感じますか?
その恩恵として、自民党賛美記事の優秀者は性加害者になっても無罪になるそうですよ。って現実でもそんなことあった気がするな。
誰かの言いなりになっているように見える日本。
日本国民が今後減り続けることでしょう。
国民が減ることで、日本はインフラを保つことが難しくなっていきます。
その残酷で悲しい証明を能登半島地震が示しています。
2024年1月に起きたこの地震からの復興は、いまだに目処が立っていません。
それに荷物を配達する人、故障した道路や水道管、電線を修理する人などなど、人手不足もそうですし、経験値の継承の断絶が起こるかも知れません。インフラがボロボロになっていくかもしれないということです。
税金は下がることが無く、逆に生活費の負担は日々上がっていきます。
給料の額面は下がっていなくても、生活を送る苦しさが増しています。
日々の生活で手一杯な我々は、結婚も出産も諦めていきます。
「うちのクラスに先生いつ来るんやろ?」深刻化する教員未配置 病気休職などの代替者が見つからないケースが全国で4739人 増える非常勤での対応 | TBS NEWS DIG
という記事。
子供の教育を優先しなかった結果、その子たちがやがて大人になった時に日本はどんな姿をしているのでしょうか。
教育も国防のひとつなのではないでしょうか。
外国人に日本の土地が買われているそうで。
損得マシーンになっている日本人は、目の前の金を優先し、未来の日本を守るという思考が無くなっています。
東京23区の火葬場は中国資本の傘下となっていて、ご遺体すらも金の成る木として搾取され出しています。
今後ますます「日本的なるもの」が海外資本に乗っ取られていくことでしょう。
「教育」とは「愛国心」を育てることにもつながっていたと思います。
別に「お国の為に命を懸けろ」ということを言いたいのではなく、「この国に生まれて、いろんな人に出会えて幸せだな。日本が好きだな」と思える心のことです。
人間としての厚みを育てる力が教育にはあったはずです。
受験のための勉強のことだけではなく、変な先生から勉強に関係ないことを教わったり、人間関係の難しさを痛感したり。
そんな大事な「教育」にお金を掛けないのは国益を損なっていると言えるでしょう。
教師は疲弊し、生徒は学びの機会を失っています。
そんなこんなで、今や日本はまったく国防とは程遠い行動ばかりをしているように思えてなりません。
日本を内側から食い破られている真っ最中なのに、「防衛費を上げる」と外側を強化しているわけで、僕からすると「すでに日本が空洞になっていくのに、何を守るというのだろうか」と残念な気持ちになるわけです。
ざっくり言うと、これまでの我々の投票活動が長期政権を願い、その長期政権が政治の腐敗を招いた、と言えるでしょう。
(個人的なことを申せば、僕は今まで一度も自民党に投票したことがありませんし、都知事の再選に投票したこともありません。現状の日本や東京の惨状を見ても「だから言ったじゃないですか」としか思いません)
どんなに悪いことをしても政権が続くってどういうことなんでしょうか。しかも日本経済を建て直せずズルズルとですよ。
日本が衰弱しているのは何も変えられなかった我々。何も変えようとしなかった我々のせい、とも言えるでしょう。
ここから全部を覆すほどの最善手などありえないでしょう。
それに全部を改善しようとすると必ず弊害が各所に表れるでしょうし、その弊害が直撃するのは我々下層の市民です。
社会の幸福度を上げる方法はかなりの難度だと思います。
だから個人の幸福度を上げる。
個人として何が大切か。何が不要か。
そのことに意識を集中させて日々を大切に過ごすことが大事だと考えます。
寒い時に暖かい部屋で温かいものを食べられる幸福に感謝をします。
会いたい人に会える幸福に感謝をします。
日々太陽の光を浴びることができる日常に感謝をします。
我々はずっと前からいつだって幸福なんです。
個人の幸福を増やすことで社会の幸福感を演出する。
僕はこのようなやり方から社会が良くなればなと考えています。