『傲慢と善良』を読んで社会を降りる
『傲慢と善良』(辻村深月著)を読んだ。
本稿はその感想というか、僕自身について書きたい。
読んだことがある未婚者の方々にとって、これほど何かを語りたくさせる小説はなかなか無いだろう。
それはきっと、この小説が突きつけてくる現実や、自分自身の現状を言い当てられたことによる。そしてそこから「自分だけは違う」と跳ね返そうとしても、全てあらかじめ小説内で完全なる反論が張り巡らされている。
だからおそらく読み終えた未婚者の多くは立ちすくんだり、寝転がったまま身動きが取れなくなったことだろう。
最後の展開に泣いた者はきっと物語に感動したと同時に、おそらく自分にはこのような機会はもう訪れないだろうと悟り、自分を慰めるために泣いたことだろう。
本稿は『傲慢と善良』の重要なネタバレは避けるよう努めるが、作品の内容には触れる。そのため読了後にこの先の文章を読まれますようおすすめします。
本作は、婚活経験者全員を文字でぶん殴る作品というか、未婚者がずっと落とし穴の中に居たのだということを明らかにする作品というか、そんな「サスペンスのフリをした絶望小説」だ。
絶望を脱却した僕だから、そのことがよくわかる。
脱却のキーワードは「社会から降りる」だ。
◾️本作のあらすじ
あらすじはこうだ。
結婚を予定していた彼女(真実)がある日突然行方不明になる。ストーカーに悩まされていた彼女。ついに連れ去られたと思った彼氏(架)はいろんな人物と会うことで彼女の行方を追う。それと同時に、彼女の心の中まで知らされていく。
小説の中盤以降、彼女目線に物語が切り替わることで読者の現実が大きく揺らぐ。
本作はサスペンス形式で物語が進んでいく。
架にも真実にもそれぞれ過去がある。
やがて、婚活疲れをしていた架が浮かび上がってくるし、田舎の因習により矮小化していた真実が見えてくる。
様々な過去を知り、いよいよ物語はある事実に辿り着く。
ストーリーはとてもわかりやすい。
恋人が居なくなってから見つかるまでの物語だ。
だがとある人物の登場が、現代を生きる我々に強烈にNOを叩きつけてくる。
それは結婚相談所「縁結び 小野里」を営んでいる小野里夫人だ。
◾️小野里夫人の指摘
本作のタイトル『傲慢と善良』は小野里夫人から語られる。
要約すると
「お見合い相手を品定めしてピンと来ないからと結婚相手に選ばない思考は傲慢である」
「親などからの言いつけを守り善良な人ほど自分が無い」
「現代は傲慢さと善良さが成立してしまう時代なのだ」
未婚者にとって小野里夫人はとても怖く映る。
なぜなら「お前は全部間違ってんだよ」と言われてるように感じるからだ。
確かに言い訳にしかならないだろう。
人それぞれ背景や経緯があるが、結婚出来ていないのは結婚しようとしなかったからだ、と指摘されている。
だが僕は「そこまでして?」と思う。
これは多くの未婚者にも共感していただけるだろう。
自分の本心をごまかしたり、見た目とか性格とか話すリズムとかセックスとか佇まいとか、そういったいろんなものを無視して結婚達成だけに向けて生きなければ結婚できないのだとしたら、「そこまでしなきゃならないのか?」と思うだろう。
相思相愛で何十年も結婚生活を過ごせる人同士だったら良いだろう。
でも「結婚がしたいから相手は問わない」と覚悟が決まってる人だけが結婚していくのなら、そのしきたりには乗らなくて良いかな、と思う。
消えた彼女真実も、婚活中に同様のことで悩んでいる。
性格は良いけど見た目は無理な男性と、性格は無理だけど見た目が良い男性。二人とお見合いしたけどどっちかじゃなきゃダメなのか、と。
「縁結び 小野里」では成婚については言及しているが、その後「縁結び 小野里」で結婚した者たちが何組離婚へと至ってしまったか、までは言及していない。
まるで結婚したという事実だけがあればそれで良い、とでも言わんばかりだ。
その時は「結婚することと、結婚生活を続けることとは全く別のことですから」とでもうそぶくのだろうか。
◾️社会を降りる
だから僕は社会を降りた。
40歳を過ぎてからも何人かお付き合い出来たし、もちろん結婚も考えてたけど、それでも出来ないということは、そもそも「僕」と「結婚制度」とが性に合わないのだろう。
セックステクニックは上がっていっても、人並みに社会の成員として年相応の男としての生き方は出来ないのだろう。
(セックスが上手いと思ったことはないけど、セックスが下手な男が多いおかげで相対的に良いセックス・幸福なセックスが出来る、という意味)
とある有名人が最近結婚相談所を始め、このような発言をしていた。
「トランプに例えるとみなさんは弱いカード。絵札の人たちはすでに絵札同士で結婚してる。だからみなさんは自身のカードの数字を把握し、それよりも弱いカードの人と結婚するしかない」
小野里夫人もこれと同じことを言ってるんだな、と思った。
「身の程を知れ」と。「選べる立場だと思うな」と。
「じゃあいいか」という感じ。
人生のリソース(時間やお金や精神エネルギーなどなど)を懸けて自分の魂を殺してまで結婚したくないな、と思った。
損得マシーンみたいで自分自身嫌だが、そこまでしてもリターンが割りに合わな過ぎると思った。
そして、リターンを気にしない人と「この人しか居ない!」という出会いがあったのであればそりゃあすでに結婚できてるに決まってるだろ、とも思った。
とにかくこの社会は肌に合わない。
なので僕は社会を降りた。
社会になんか合わせてやるか、という感じ。
顔も体型も人並みな僕は、ありがたいことに運良くこれまで何人かとお付き合いできた。
学歴も金も無い僕には十分過ぎるほどだ。
今後も彼女が出来るかも知れないし、運良く結婚できるかも知れない。
ただ、間違っても婚活のためだけにリソースを割くのだけは止めようと思う。
出来なかったら出来なかったで、「未婚ですけど何か?」とおぎやはぎイズムで生きていきたい。おぎやはぎのお二人は共に結婚しているけど。
この世界には面白いことが多過ぎる。
婚活に命を費やしてる暇など無いんだ。
負け惜しみと受け取ってもらえて構いません。
結婚できた人たちが勝者で、未婚者が敗者で全然構いません。
ただ「勝ち負けで判断せずにいられないほど。未婚者を負け組と評価せずにはいられないほど、結婚って苦しいんですか?」とだけ言わせてください。
◾️幸せとは何かを自分の心に確認しよう
説明が長くなりがちだが、早い話が「僕が感じる幸せに、婚活は含まれていなかった」というだけのことだ。
婚活したい人はすれば良いだけのこと。
僕は僕で幸せに感じることであふれている。
毎日幸せだ。
『傲慢と善良』で登場人物たちがどうなったのか。それはぜひ本作をお読みいただきたいところだが、自分の人生については幸福かどうかを自分で決めることができる。
自分が幸福だと思えばそこで終了だ。
たまに外部の者が「不幸そう、かわいそう」などと言ってくるかも知れない。
でも大丈夫。
他人の人生を採点するような奴がまともなはずないじゃないか。
自分の人生を幸福に感じられないから他人の人生に口出ししてるだけ。自分の人生を直視したくない不幸なかわいそうな人ってことだ。
無視して良い。
これは簡単な算数だ。
未婚者のみなさん。
共に幸福への気付きへと開かれましょう。
◾️最後に
『傲慢と善良』を読んで良かった。
自身の傲慢さに気付けたし、改めてこの社会を必死に生きなくて良かったと思った。
もし何年も婚活を続けていたらと思うと寒気がする。魂がスカスカになっていただろうし、その後結婚出来ていたとしても、結婚生活を続けることで心労がたたり病床に伏していたかも知れない。
良かった、心身ともに健康で。
100m走で9秒を出せないのに何本も走らされ続けているような。
フランス料理フルコースを作れないのに何度も作らされ、毎回ダメ出しを食らい続けるような。
そんな生き方は疲れます。
結婚できた人たちのことを心から尊敬します。
未婚者たちは未婚者たちで勝手に楽しく生きることにします。
結婚できるかどうかだけにこだわった生き方から脱却します。
社会を降りて自分だけの幸福について考えたい。