「自分は悪くない教」信者の末路
明らかに自分に非があるような状況でも、なんとかして相手のせいにしたがる人がいます。
自分がミスした時も、相手が以前起こした大きなミスを引き合いに出して「自分は悪くない」という論法を持ち出したりもします。
今回はそんな「自分は悪くない教」に入信している人のお話です。
というかこのヤフトピみたいなタイトルの付け方はなんなんだ。
■「自分は悪くない教」とは
「謝ったら死ぬ病」というのがありますが、非を認めないという点で「自分は悪くない教」と似ています。
「謝らない」ことと「非を認めない」こととで厳密に区別するために「自分は悪くない教」という造語を作りました。
「自分は悪くない」というのを押し出すあまり「相手の悪い点を挙げることで自分の悪い点をスルーしようとする」という暴挙に出ます。
とても恐ろしい新興宗教なのです。
■【例1】掃除をしない妻
専業主婦の妻が家の掃除をしてくれないことに不満を抱く夫。
そのことを指摘すると掃除が出来ない理由を延々と言われ、その後「夫の給料が低い」「掃除が必要と感じたら夫が掃除すればいい」「がんばっている私を労わないのが悪い」などと話し合いになりません。
■【例2】過去の発言をいつまでも持ち出す彼女
彼氏に対して暴言がひどい彼女。
そんな彼女に対して傷ついたと告げる彼氏。
それに対し彼女は「昔私にこんなことを言ったの今でも忘れない」「昔あんなことを言われて傷ついた」と持ち出します。
彼女の暴言に対して彼氏の過去の発言は暴言と言えるものではありませんでした。
何を言っても傷つくような彼女から何倍もの暴言を浴び続け彼氏は疲弊していくのでした。
■ミスをごまかすためにしらを切る
「自分は悪くない教」信者はほかにもこのような振る舞いをします。
・気付かないフリ
気付いていないのでミスが発覚しても自分は悪くない、という考え方です。
・機械のせいにする
機械がミスをしただけであって自分の操作は何も悪くない、という考え方です。
・誰かが仕掛けたと言い張る
犯人は居ないのでミスの責任は永遠に追及され真相が明らかになりません。
■ミスをごまかすためにルールを逸脱する
そしてミスをごまかすためにいよいよルールを逸脱し始めます。
自分がミスをした、悪かった、と言えばすぐに済むような出来事なのに、ミスを認めず、自分は絶対に悪くない、ということを貫き通さなければならない。
そのためにルールをゆがめたり、損失を産むようなことも平気でします。なぜなら自分は悪くないので、悪くないことを証明することは正しいから、です。
とても歪んだ思考ですが、「自分は悪くない教」信者としてはそれが正解なのでしょう。
■入信してはならない
わざわざ言うまでも無いことですが、このような人の周りからは次々と人がいなくなります。
孤立していくことでしょう。
でも孤立してでも「自分は悪くない」と言いたいので、もうそれで良いんだと思います。
信者の信仰を尊重し、孤立させてあげましょう。
くれぐれも「自分は悪くない教」に入信しないよう気を付けてください。
そのためにも自分を客観視し、「他の人同士で似た状況になった場合、自分は悪くないって言い続けるのってヤバいな」と気付いたり。
何が悪くてどんな経緯が原因かなどみんなで振り返ったり。
そうした自戒、自省の心が必要です。
そして大事なのはコミュニティを衰退させないという気持ちです。
自分の一時の感情よりもコミュニティの維持について想いを巡らせてみましょう。
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