『寄生獣』の素晴らしさ/『寄生獣 ザ・グレイ』の甘さ
韓国版『寄生獣 ザ・グレイ』(以下ザ・グレイ)を全話視聴しました。
感想は「原作を薄味にした感じで残念」です。
以前第1話を視聴した時の感想を書いたのですが、やはり原作は偉大だなという感じです。
以下原作『寄生獣』と比較した感想となります。両作品のネタバレ、根幹に関わる重大な設定バレを大いに含みます。ご了承ください。
(ネタバレ無しの前回投稿記事)
■ 動きが見える刃のスピード感
映像面はクオリティの高さに驚嘆しましたが、戦闘シーンのスピード感の無さが気になりました。原作では超スピードで動く刃が絶望感を演出していましたが、ザ・グレイでは全部見えます。視聴者にだけ特別に動きが見えているということではなく、登場人物たちも目で追えるスピードです。
■ 知能が高いのかそうじゃないのかよくわからない
寄生されていない警官が寄生生物側について捜査をかき乱している、というのが肝となっているのですが、味方をしている理由が甘い気がします。
逃げれば良いのに。貧乏だから人間を売ってでも寄生生物の仲間になりたい、という理由は薄いのでは。
それとやはり、寄生されてすぐの生物たちはみんな知能が高すぎます。
前回記事で、主人公スインの右脳に寄生したハイジが寄生したばかりなのに分離したり宿主の傷を修復したりなんでも出来過ぎ!と書きましたけど、警官と交渉する寄生生物も頭良すぎます。テレビで社会性を学んでる途中なのに、「頭を乗っ取れ」=「社会のトップ(頭)を乗っ取れ」だと超解釈したりします。
そう。原作で重要なワードとなっている「この種を食い殺せ」ですが、ザ・グレイでは「頭を乗っ取れ」なのです。だから別に人間を食いたいとは思っていないようです。
原作ファンは根本からしてテーマが違うと感じるでしょう。
■ 頭部を頻繁に乗っ取ることが出来る
教団の教祖となった寄生生物ですが、次に市長と入れ替わることを決意します。
そのため仲間を裏切ります。裏切られた寄生生物(田宮良子がモデルのようです)は教祖に復讐しようと主人公側と手を組みます。
もうなんだかよくわからない展開ですよね。
市長になりたいなら顔を変えれば良いだけだし。危険を犯してわざわざ身体を乗っ取らなくても。もちろん市長を殺して身体を奪うのが一挙両得ということなんですけどね。
知能が高いなら市長と近しい人物から段々移り変わっていけば安全だったんじゃ無いかな、と感じました。
(原作では頭部すげ替えは確実に成功するわけでもなく、一か八かの賭け、という描かれ方をしています)
■ 原作を何回読み返したのか
田宮良子のモデルとされる寄生生物が最期に弟と市長をかばうのですが、これも理由が薄いです。
弟としては姉が寄生されてしまい怪物と化してしまった。でも顔も身体も姉。という複雑な心境になっているのは理解できますが、寄生生物が自分の命よりも人間を守る意味がわからないです。
主人公スインに寄生したハイジがなぜ眠りについたのか、というのも理解できませんでした。原作では眠りにつく理由が描かれていました。5体持ちの変異種後藤に取り込まれたミギーが、自己の存在について自問自答し続けて導き出した結果が「眠りにつく」です。
そして個人的にものすごく納得がいかないのが泉新一(菅田将暉)が登場し、右手のアップで終わったところです。
原作の泉新一だとしたらミギーは眠っていて目覚めないために右手は普通の右手に擬態されています。でも「ミギーですよ」みたいなカットで締める。原作ファンへのサービス精神のつもりなのでしょうか。個人的には「原作の読み込みが足りないのでは?」と反発してしまいました。
■『寄生獣』の魅力
やはり原作は素晴らしい。
原作の設定のいい所取りをしても薄まった映像作品にしかならないのは、もうしょうがないことです。
原作はまずテーマがしっかりしている。
環境破壊や「パラサイトより人間の方が悪魔なのではないか」という倫理的な問い掛けが軸として存在します。
そしてパラサイトの設定もしっかり作り込まれていて、しかも大きく逸脱していません。ミギーやパラサイトに弱点などがあるため緊張感やストーリー展開に幅があります。
また人間側にもそれぞれ想いや背景などがあり、それらが重なり合って我々読者に生きるということはどういうことなのかを深く考えさせる作品となっています。
そして原作の魅力に「伏線の巧妙さ」があります。
大きな仕掛けの一つに市長広川がパラサイトではなく人間だった、というのがあります。
街頭演説の際に完全体ではない後藤が居たためミギーはパラサイトの個体数を見誤っていた、というのがあとでわかります。
また作中、寄生生物は「パラサイト」と呼称されているのですが読者は「パラサイト」のことが「寄生獣」だと思い込みながら読み進めます。「寄生獣」とは呼ばれていないのです。ですがタイトルに込められた意味が市長広川により語られます。地球に寄生して蝕む人間こそが寄生虫、いや寄生獣である、と。
ここでミギーが語っていた「パラサイトより人間の方が悪魔だと思う」という言葉が際立ちます。そして恐怖の対象として見ていたパラサイトよりも我々自身が自然に反し高度な知能を持った獣であると突きつけられるのです。
終盤、異常犯罪者浦上が登場することで人間こそが残忍で恐ろしい存在であるということがさらに強調されます。
「この種を食い殺せ」という命令に従い、生きるために同種を食べていたパラサイトと、人間のままただ人間を殺し犯し食す浦上。
『寄生獣』を読んできた我々にとってどちらに嫌悪感を抱くか。それは恐らく圧倒的に浦上に対してでしょう。
序盤に提示されるように、パラサイトは種を残すことができません。
(『ネオ寄生獣』には田宮良子が産んだ人間の子が成長した姿が描かれています。萩尾望都作)
つまりパラサイトは減り続けます。人間を食べながら。
なぜパラサイトが地球上に登場したのか。
この謎は作中解明されることはありません。
謎を残し議論の余地が我々に委ねられている、というのも憎い終わり方だと感じます。
■ まとめ
結論。原作を読みましょう。