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肉体の性別より心の性別を重視するスポーツ/男性蔑視を見過ごす社会で男性はますます生きづらい

 男女差別撤廃や多様性を目指そうとした結果、かなりごちゃついてしまった印象があります。
 (フェミニストのフリをした男性蔑視や、理解の深さをアピールするつもりが性の幅広さに翻弄されている人など様々)

■ スポーツで大事なのは「肉体の性別」より「心の性別」なのか

 オリンピックに関連して現在話題なのが、男性の肉体を持った人物が女性に性別適合手術をし、その後女性参加のスポーツ競技で圧勝する、という事態。
 個人的には間違っていると感じます。
 スポーツは心の性別で統一するのではなく、肉体の性別で統一した方がわかりやすいでしょう。
 これは昨今話題になりやすい「心が女性だから女湯に入る」という問題も一緒です。
 心の中までは誰にもわかりませんが、肉体は誰が見ても同じ区別ができます。
 重量挙げは筋肉量により優劣が決まるでしょうし、ボクシングは体重別で細かく階級が分かれます。体格差が勝敗や命の危険性に直結しているからです。それなのに男性の肉体を持つ人物と女性の肉体を持つ人物とを試合させるのはあまりに危険です。
 勝敗にフェアじゃないとか、すべての人物に平等に機会を与えるとか、そういう議論以前の問題です。

 わかりやすく「年齢」に置き換えてみましょう。
 10歳の子が出場できるボクシング大会があったとします。
 そこに心も知能も10歳だけど、肉体は30歳の人物が出場しました。
 これで「すべての人物に平等に機会を与える」と言うのでしょうか。
 肉体の方をベースにして出場の条件を決めた方が良いと感じませんか?

 本稿を読まれている方の多くは僕の意見と同じ考えをお持ちだと思いますが、どうやら国際オリンピック委員会の会長は正反対な考えのようなのです。
 こんな危険な大会やる意義あるんですか?


■ パパ蔑視の先に公共益はあるのか

 「パパは全然面倒みてくれない」「ママがいい」などの文字がプリントされた靴下を販売しようとし、批判に晒されて中止となった件について。
 これが「ママは怒ってばかり」「パパは優しくて好き」とかだったら今以上に猛反発を食らっていたことでしょうし、そもそも発表の前に社内でストップを掛けているはずです。
 これが男性に対しては何を言っても良い、という風潮がいまだ払拭されていません。
 いわゆるダブルスタンダードです。
(男性なら良い。女性ならダメ、という基準が二つある考え方のため。男性も良いなら女性も良い。それか男性も女性もこのような表現はダメ。この2パターンしかありえません)
 この騒動に対して反対意見に対して批判する人たちがいるようで頭を抱えました。

「楽しみにしてただけに本当に残念でした」
「デザインに酷い!とは微塵も感じなかった」
「こういうのに一々反応して詫びて屈するのをやめて欲しい」
「めちゃくちゃ面白い企画なのに~」
「大反発してる人たちはこれから先、違う意見の人や物、全てに反発して生きていくつもりなのかな?怖すぎるわっっ」
「嫌なら見るなよ買うなよ話題にするなよ」

バースデイ謝罪→インスタに擁護多数の現象 「嫌なら買うなよ」「大反発してる人たちが怖すぎる」より引用

 特に以下の3つのコメントがひどいので反論いたします。

・「こういうのに一々反応して詫びて屈するのをやめて欲しい
 過剰反応なクレームに対して企業が屈する昨今の風潮は僕も反対です。
 ですが今回の騒動は「男性蔑視」をあおるものです。企業としては謝罪することでイメージダウンを最小限に食い止めたかと思います。

・「大反発してる人たちはこれから先、違う意見の人や物、全てに反発して生きていくつもりなのかな?怖すぎるわっっ
 この方は「個人の考え」と「公共益」を混同しているようです。そのため自身のダブルスタンダードにも気付かないのでしょう。
 反対している人の多くは「社会的にそれって間違ってますよね?」と言うことを言いたいだけ。個人製作で「パパは全然面倒見てくれない」というTシャツとかを作るのは勝手にやれば良いでしょう。
 「個人の考え」と「公共益」を混同し続けて生きていくつもりなのかな?怖すぎるわっ!と言われてしまいますよ。

・「嫌なら見るなよ買うなよ話題にするなよ
 この方は「ゾーニング」と「公共益」を混同しています。
 例えば「男性蔑視の衣類を売る会」というものがあったとしましょう。そこで「パパは全然面倒見てくれない」という靴下が売られていたら、それはそのように「ゾーニング」されているため、買いたい人だけ買えば良い。
 男性蔑視は悪いことですが、悪いことをしている自覚がある人達の集まりで、一般の目にさらされないように活動しているため、「ゾーニング」の機能は果たされています。
 今回の件は量販チェーン店で展開される予定でしたので、多くの目に触れ、「パパを蔑視する考えが一般的」であるかのような事態になることも想定できました。
 そのため「男性蔑視はダメ」ということを話題にすることで多くの方々に考えるきっかけを与えることは「公共益」となります。

 これらの振る舞いは、回りまわって「女性蔑視の解消を遅延させる」ことになります。
 男性の地位を低下させれば女性の地位が上がると勘違いしているクズの意見に耳を傾けてはなりません


■ まとめ

 いかがでしたでしょうか。
 前半はスポーツを軸に「心」と「肉体」の話。
 後半はメッセージ入り靴下を軸に「公共益」を中心にわかりやすく批判してみました。

 性の多様性は議論が開始してからまだ日が浅く、しかも情報が入手しやすくなったことも重なり多様性の奥行きも深さも日々更新されていきます。
 その点では日本はまだまだ遅れていると言えるでしょう。僕自身把握し切れていないことの方が多いです。
 より複雑化していく議題ですが、今回の「スポーツ」に関しては話がわかりやすいかと思います。

 また「男性蔑視」についてですが、ほとんどの国で男性の自殺率は女性の自殺率の2倍以上の差が開いています。
 つまり自殺率だけ見れば以前から不平等ということです。
(男性は社会から弾かれやすい。社会的重圧があるなど理由は様々)
 男性の自殺率を低下させることが重要だと感じますが、現状は「パパ蔑視」をおもしろおかしくいじる風潮があるということです。

 個人的には「公共の場では肉体優先」「男女平等から男女公平へ」という考えです。
 今後もこの問題は様々な議論を引き起こすことでしょう。
 ダブルスタンダードに陥ることなく、日ごろからしっかり自分自身の立ち位置を自覚しておくことが大切だと思います。

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