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コスパに追い詰められる 得できなかったことを悔やむ生き方
得を逃したことが損だと感じる人が増えているような気がします。
1万円もらえると言われたとしましょう。
その後もらえなくなったとします。
1万円損したでしょうか。
実害は0円ですが、1万円もらえていたはずがもらえなかった、ということで、「損をした」と感じるのでしょう。
他にも、立場は同じであるはずの他の人が得をしているのに、自分はそれを得られなかった場合も、人は「損をした」と感じます。
実際には実害0円なのに。
実際には損をしていないにも関わらず「損をした」と憤り誰かを攻撃することは、とても残念なことなのではないか、という疑問が浮かんだため、本稿を執筆しようと思い至りました。
■スマホゲームのスタミナあふれ問題
スマホゲームを遊んだ経験がある方にはご理解いただけると思うのですが、1プレイに必要な消費ポイント(スタミナ)が現実時間の経過によって回復するゲームがあります。
このスタミナが上限いっぱいまで回復してしまうことが「損」に感じる方は結構多い気がします。
スタミナを消費し切ってから寝て、起きたら上限近くまで回復してる。それを軽く消費してから一日が始まる、みたいな生活スタイルです。
ですが実際にはスタミナが上限いっぱいまで貯まったままでも「損」は一切していません。
この「無料で得られたはずのものを得ることが出来なかった」という状態を嫌う人が多いのでは?と僕の経験からも感じるのです。
■取りこぼしを嫌う
前項をわかりやすく言うと「取りこぼしがイヤ」ということです。
得られる利益は最大限に得たい、と言い換えることも出来ます。
現実的には一切損をしていないのに、あり得た未来を想定して損を創出する、というのは、その思考自体が今後の人生に損失を生んでいる気がします。
■あの時ああしていれば、の損害
誰しも「あの時ああしていれば」と悔やんだ経験はおありでしょう。
「学生の頃勉強してれば」とか「もっと優しく接してれば」とか。
こうした、「より良い人生を歩めていたはずなのに歩めなかった」という後悔を損だと勘違いしてしまうと、今後の人生に損失を発生させてしまいます。
現在の人生は間違いで、あり得たあの人生こそが真の人生なのだ、という考え方をしたところで、もう過去を修正することなど出来ません。
「あの時ああしてれば」は後悔であって損ではありません。
損は取り戻すことは出来ますが、後悔は取り戻すことができません。
つまりいつまでも損だと思い込んでいる後悔にこだわっていても得に転じることは無いのです。
後悔は言い換えると経験値です。
つまり損の正反対。
経験値を獲得しているわけです。
経験値は次に活かすことが出来ます。
後悔は得なのです。
■まとめ
以上の通り、コスパにこだわっていては実際に得ているものも「損」に見えてしまいます。
人生は何が起こるかわかりません。
そして、人生には何が必要かなど現時点では知りようが無いのです。
「損して得取れ」「若い内の苦労は買ってでもしろ」そして「風が吹けば桶屋が儲かる」です。
無駄なことをしたと悔やんだり、得られたはずの幸福を取りこぼしてしまったと悔やむよりも、獲得した経験値が未来の幸福を引き寄せているのだと考え方を変えてみるのも良いかもしれません。