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映画『Mommy』への批判コメントに対する反論

 8月3日から「和歌山毒物カレー事件」の死刑判決に疑問を提示するドキュメント映画『Mommy』が公開されます。

 公開前からなぜか批判が多いらしく、観てもいないのに批判する愚かしさは当然として、「冤罪の可能性」に対して強い拒否反応を示しているのではないか、と言う気がしてなりません。

 冤罪じゃない場合。
 冤罪の可能性を提示されている点に反論すれば良いだけです。林眞須美死刑囚が犯人であるという証拠があれば良いだけです。
 もしこれが冤罪の場合。
 この映画は冤罪を追及した歴史的意義、社会的意義のあるドキュメンタリーとなります。
 ジャーナリストの矜持は現在のマスコミと司法に対して強力な不正抑止効果となるでしょう。
 このどこに批判する要素がありますか。
 どちらにせよこの映画を叩く理由などありません。

 とある批判コメントが目に止まり僕は怒りに震えました。馬鹿は何を言っても馬鹿ですが、なぜかこの馬鹿コメントにいいねが付いていたので分かりやすく批判したいと思います。

 批判コメントの内容は下記の通りです。

林眞須美は真犯人じゃない!という一方的でフラットじゃない見方はマスゴミと一緒じゃないか。

 馬鹿か。

 犯人じゃない人を犯人に仕立て上げるマスコミと、犯人じゃない人が犯人にされたので犯人じゃないのではと捉え直すドキュメント。
 これが同じ?どこが?

 もし同じとするなら条件はこうです。
 証拠も動機も揃ってる真犯人がいる。マスコミも真犯人だと騒ぎ、報道を見た人も納得。
 それに対してドキュメント映画の監督は真犯人じゃないと一方的に騒いでいる。

 要はここで問題になっているのはあくまで「冤罪の可能性」であって、どちらに偏った報道かどうか、では無いんですよ。
 冤罪の可能性を無視して死刑判決が出ていることに「冤罪だと一方的に決めつけるな!」と叫ぶのは馬鹿を通り越して恐ろしくもあります。

 

●追記
 怒り過ぎて文脈が分かりづらいですね。
 何が言いたいかと言うと、事件当日のマスコミと捜査が林眞須美犯人説に偏りすぎていて、そのまま死刑判決へと進んでしまいました。
 それに対して今回の映画は冤罪かどうかを問うドキュメント映画です。
 すでに偏っていたものに対して反対意見を述べたわけで、なぜここにバランスを求めるのか、ということを言いたいのです。
 「冤罪ではない派」のマスコミ、検察、裁判所に対する「冤罪ではないか派」のドキュメント映画、という構図です。
 そもそも国民の多くが犯人だと思ってて、一部が冤罪の可能性があるなら再審すべきと思っています。すでにアンバランスなんですよ。ここにバランス求めるのか、っていう怒りです。

 

 冤罪は国民の人権が国に侵害されてるということですよ?普通映画監督を応援しませんか?
 国が国民の人権を脅かしてるんだから一方的だろうがなんだろうが「冤罪の可能性をきっちり否定し尽くしてくださいよ。そうでないと真犯人とは言えないでしょ?」と突きつけて良いに決まってます。

 怒りの余り汚い言葉を使いましたが、批判者が自身の愚かしさに気づけていないようなので、せめてこの記事を読んだ方には批判構造をご理解いただきたく執筆いたしました。

 上映館が少ないためなかなかご覧いただけないかも知れませんが、ぜひ僕と一緒に冤罪の可能性について確認しに行きましょう!
 知ってから批判するなり賛同するなり決めても遅くはありません。

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