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「時間の厚み」の違いが人間関係を壊すかも
料理を知らない人は食材があれば料理が出来ると思ってる。
一方、料理を作る人は食材選びと値段のバランスから、食べたいもの、調理工程の煩雑さなどを思考し、家の調味料のストックなども把握しておき、食事をとる時刻から逆算して調理開始時刻を導き出す。そして取りかかる。
料理を作ったことがある人は、このような工程や思考などが必要であることを理解している。そのため自分以外の人が料理をしてくれることに心から感謝できる。
つまり「時間の厚み」が違う。
同じ2時間でも、経験者か否かによって、時間の見え方や捉え方、濃密さが違うということだ。
何が言いたいかと言うと、これは人生にもあてはまるのではないか、という気付きである。
知識や経験が多い者はこの人生の厚みが違うのではないか。
様々な経験と知識の蓄積が、その人の時間をブ厚くする。
そのブ厚さは、理解力だったり、優しさだったりで、それが誰かの救いになったりするだろう。
それとは逆に、「時間が薄っぺら」なタダ乗り野郎は理解しない。むしろ怒り出すかも知れない。「肉があるんだからハンバーグくらい出来るだろ」とほざくかも知れない。
「学園祭の準備」「飲み会の幹事」「職場のリーダー」「ランチの予約」などなど、時間の厚みが増すための行動はいたる所にある。
面倒だからと避けていると、やがてそれが人生を壊す「蟻の一穴」になるかもしれない。
千丈の堤も蟻の一穴より崩れる
千丈もある堅固な堤も、小さなアリの穴がもとでくずれることもある。小さな誤りやわずかな油断がもとで、大事をひきおこしたり失敗したりすることがあるというたとえ。
[解説] 「韓非子―喩老」の「千丈の堤も螻蟻の穴を以て潰ついゆ」によることば。「螻蟻」は、螻け蛄らと蟻あり。