映画『雨の中の慾情』の真の意味に気付けるか
『岬の兄妹』からの片山慎三ファンの僕。
途中まで観て「あぁ、片山監督ですら大衆映画化には逆らえないのか」と残念な気持ちになりました。
ですが前半部分はすべてネタ振りでしかなかったことがわかります。
以下重大なネタバレを含むので鑑賞後お読みください。
冒頭のレイプシーンや要所要所に映し出されるセックスシーンにより、「これはタイトル通り男の女に対する欲情についての映画なのか」と思わされます。
ですが中盤から物語が変わる。
主人公の義男(成田凌)は戦争で左腕と右足を失っており、目覚める前に見た夢だったことが観客に明かされる。
男性機能も不能となっており、そんな中で欲情をたぎらせていたのかと。
タイトルを「銃弾の雨の中の慾情」とすれば監督の意図が分かりやすくなる。
だが、ここからもう一段階絶望は深まる。
左腕や右足を失い、愛した売春婦が死ぬ前に遺した万年筆を胸に漫画家を目指す、ということそのものが死の間際の一瞬の夢であったことが明らかになる。
左腕と右足を敵の少女兵に撃たれた義男はそれが致命傷となり死んでしまう。
当の売春婦は義男の死も知らずに別の客と愛の無いセックスをする。
これは強烈な反戦映画だと感じました。
塚本晋也監督の『野火』『ほかげ』が僕の中で反戦への魂への燃料になっていましたが、そこに新たに『雨の中の慾情』も追加されました。
愛のあるセックスを夢見て死んでいった男。
漫画家になる想いも何もかもが銃弾で奪われてしまった。
やはり戦争は悲劇しか生まない。
死んでいった人たちのためにも今ある平和をいつまでも継続させなければならないと決意を新たにしました。