友達と知り合いの境界線
30歳くらいの男性が「友達と政治について話すのがつらい」とYouTubeで語っていた。
それに対する僕の答えは単純だ。
「友達じゃないからでしょ」
政治、セックス、宗教。これらについて話し合えないのって友達じゃないと思う。セックスと宗教は実存に大きく関わっているから、話し合うために必要なものが様々ある。だけど政治はそうではない。支持政党や政治家が一緒の人同士じゃないと関係を築けない、って。それっていろんな人たちで社会を営むという政治の根幹を台無しにしてません?
つまり、「政治の話をするのがつらい」っていうのは友達でもなんでもなく、ただの知り合いってだけ。その知り合いが話してる内容についていく気が起きないだけ。
そもそも「コミュニケーションスキル」は「空気を読んで話題を選ぶこと」ではないよ。「考えが合わない場面が発生しても仲違いしないスキル」のことだよ。
面倒ごと回避スキルばかり上達しても人生楽しくならないぞ。
友達が多いことをアピールする人の中には、ただの知り合いをカウントしている人もいるのではないか。
「誰とでも友達になれる」というのは、裏を返せば「誰からも友達とまでは思われていない」ということを表しているのではないか。
これらは「友達」という言葉が何を指しているのか、どの範囲まで指しているのか、などなどが曖昧なために生じている事態かも知れない。
「20の質問にお答えいただき、YESの数が18個から20個の方は親友です。12個から17個の方は友達です。11個以下の方は知り合いです。」みたいな判定法など、無い。
それに「俺ら友達同士だよな!」と互いに認め合っているとしても、この記事で挙げている定義に照らし合わせると「知り合い同士だよな!」ということさえあり得る。
そもそもな話だけど、自分をさらけ出せない人間関係ってつまらないと思う。友達だけじゃなく。
「自分をさらけ出す相手ではない」と判断してのことなんだろうけど、同じように相手からも「こいつにはさらけ出すのやめておこ」と思われてるんだろうね。
居酒屋でくだ巻いて世間一般とズレていないことを確認し合うつまらない飲み会。そして「俺たち友達同士だよな!」と確認し合う。
僕はこういうのはつまらないと思う。
いろんな話をするならお酒要らないし。