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「想像力の欠如」の前に「経験の妨害」を回避する

前代未聞のミスをした人や道徳に反する振る舞いをした人に対し「想像力が欠如している」と憤ったことはありませんか?
結果を想像すれば回避できたはず、と。
もし彼らは想像しないのではなく出来ないのだとしたら。
想像するために必要なのは経験なのではないでしょうか。

個人的な感想ですが「飲み会の幹事」「接客業」「リーダー経験」をしたことがある人と無い人とでは、他人に対する思いやりの深さに歴然とした違いがあるように感じます。
幹事の大変さを知っている人は、他の人が幹事をした時にわがままを言って困らせるようなことはないでしょう。
接客業を経験した方は店員さんに横柄な態度を取る事はないはずです。
リーダーを任されたことがある人は、人をまとめるということの大変さを理解しているはずです。

これらの「経験値」を獲得しづらい時代なのかなと感じます。
面倒なことを押し付けてはならない、という過剰な配慮があったり、技術の発展により回避可能な事柄が増えているのではないでしょうか。
そもそも人と人とが接する機会も減っていってるような感覚があります。
例えば飲み会の減少など。

また、最近深刻化していると感じるのが「交際経験なし」と答える男性の増加です。
女性と接する機会が少ない人は経験値が上がっていきません。
そして女性と交際しなくても良い、という思考に至るための物事が現代ではあふれかえっています。
女性に話しかけて失敗した経験や、自分自身の気持ち悪さを直視する経験は、社会成員として生きる上で必ず活きます。

失敗の経験を妨害する現代に対してそのまま楽に(だけど幸せになれず、周囲を困らせ)生きるか。
それとも失敗を恐れず行動し経験値を獲得して生きるか。
本当の意味で幸せになれるのはどちらかをしっかり吟味していくことが大事だと思います。

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