見出し画像

【短編小説】魂税が徴収される日


 平和で平穏な世界だ。
 これがすべてを権力に明け渡した末路。
 
 ピコンと小気味良い音が俺の体内に響く。
 この「ピコン」という音は課税された合図で、課税対象は「末路」という言葉を頭の中で思ってしまったことだ。
 もう俺には何も無いから、いくら課税されようがどうでも良かった。
 ただ、どうしてもこの平和で平穏で、平板で、無味で、グロくて、監獄のようなこの世界について考えずにはいられなかった。
 
 ピピピコン
 頭の中で悪態をついたことに対して、また課税された。
 
 俺は生まれてすぐ「β0763-tak0076719ミチタカ」という、製品番号のような名前になった。親が俺の名前を売ったからだ。もちろん平等で公平な政府は、生まれた時の名前を使用継続する選択肢も与えてくれた。
 だがそれは形式的なもので、国民の99%は名前変更を受け入れた。
 なぜなら姓名の使用許可には年間莫大な税金が掛けられるからだ。

 ちなみに名前に付いてる「β」は一般市民を指す。「α」は言わば特権階級の奴らで、会ったことはもちろん見かけたことすらない。当然生まれたままの姓名を持つ奴なんて存在すら知らない。政治家ですら名前を売り渡しているのだから。
 現在俺は東京都(t)足立区(a)北千住(k)に住んでいるので「tak」が付けられている。
(公人は住所に当たる部分は伏せられている)

 名前はSNSなどにも紐付いている。
 2020年頃はSNSは荒れに荒れていたと聞いたことがある。今では考えられない。
 汚いワードを思うだけでも課税されるというのに、公共の場で罵ったりなんかしたら、生涯返済できないほどの重課税を負うことになる。
 そもそも現在はSNSにそのような投稿をしようとすると何重にも注意書きが出るし、閲覧する側は汚いワードを読み込めないようフィルターが掛かっている。
 つまり暴言は誰にも届くことは無いのだ。国家への恨み節も、この社会システムを作り上げてきたご先祖様に対する怒りも。何もかも。
 
 思想に対して課税がなされたのは2040年頃らしい。
 
 ピピピピピコン ピピピコン
 もうずっとこの忌々しい電子音が体内に響き続けている。汚いワードよりも、政府や権力者に対する疑念などはより多くの課税がなされる。耳心地の良い地獄のような警告音。お前はこの世界にそぐわないという宣告。
 
 俺は昨日まで他のみんなと同じように模範的な国民として生きてきた。
 SNSに無意味に誰にも読まれない暴言を吐く奴なんか死刑で良いと思っていたし、もちろん「死刑」なんて課税対象の言葉なんか使ったことも無かった。思想はもちろん、肉体も、趣味嗜好も、行動パターンも、健康情報も、ありとあらゆるものをデータ化し献上して生きてきた。
 それが正しいから。

 でもそれは正しくなんか無かった。

 きっかけはSNSで流れてきたとある投稿だった。
 γから始まるアカウント名。γが珍しいので目に留まった。名前の最後にアカリと付いていた。アイコンは電球がチカっと光っているもので、電球のレトロさも相まってなぜか惹かれたのだ。
 電球は100年以上前の電気機器であり、歴史の授業でしか見たことがない。

アカリ「わたしの魂 どこかに置いてきちゃったみたい。一度で良いからわたしの魂としっかり握手できていたら、絶対離さなかったのになー」

 その文字列を見た瞬間俺の心臓は鼓動を早めた。体温が一気に上がった。数秒間呼吸をすることを忘れていた。
 そしてそれらの健康データはすぐさま「健康損失税」として課税された。
 その課税時のピコンという音が初めて耳障りに感じた。
 昨日までは「課税されないように気を付けて生きよう」とか「少額の課税で済んで良かった」などと考えていた。ピコンが当たり前の人生だったからだ。
 でもそれは当たり前じゃなかった。異常だ。魂まで権力者に明け渡すなんて、そんなことしちゃいけなかったんだ。俺だけじゃなくほとんどの奴らは先祖代々このように生きてきた。それが安心で安全だから。
 汚い言葉を使わない生活。危険な思想を抱かない人生。この素晴らしい社会を壊さず、いつまでも継続させることこそが幸福であると、本当に信じていた。

 俺の中でピコンピコン鳴り響く。これは国家からの怒りでも無いし警告なんかでもない。ただ鳴るようにシステム上のプログラムが走っているだけだ。
 俺は違う。俺のこの罵詈雑言は、この熱くたぎる暴言の数々は、この俺から、この俺の魂から発せられた、俺だけのものだ。
 生まれて初めて罵詈雑言って言葉を使ってやったぜクソ野郎が。バリゾーゴン。かっこいいぜ。ラスボスみてーな単語だな。
 
 ピコン

 
 俺たち国民が権力者に魂を売り渡すまでには長い歴史があった。
 1990年頃すでに男性アイドルのお尻に5億円の保険が掛けられていたそうだ。つまり肉体を持ち続けるのは重大なリスクを伴っているということだ。
 生きていれば交通事故に遭うかも知れない。病気になるかも知れない。自暴自棄になって自傷したり暴飲暴食をするかも知れない。
 つまり生きるということは肉体を傷付け損ない続けるということでもある。

 だから国家はまず表現を制限し出した。SNSの過剰なフィルターもその一環だ。
 豊富な表現は国民の心も体も傷つける可能性が高いとし、少しずつ少しずつ平板な表現へとすり替わっていった。
 当時の国民は猛烈に反発したり、表現の空疎化や陳腐化を批判したそうだ。だがそれもやがて沈静化していったらしい。
 あまり気にしない国民の人数が増えていったことに加え、素晴らしい表現や美しい表現とされていたものを発表するのにも、それを鑑賞するのにも新たな課税が義務付けられたことが大きい。

 それらと同時期に、健康に対して減税がなされたことも大きかったようだ。
 誰もが健康に躍起になった。
 健康診断の結果を国家に提供し、国民識別番号と紐付けると減税。
 見た目年齢、内臓年齢、腸年齢などなど、実年齢よりもマイナスな各項目ごとに減税。
 メタボリックシンドロームの基準となる腹囲も、平均よりもマイナスだと減税になったそうだ。

 だが馬鹿な当時の国民達は、平均という言葉の裏の意味に気付けなかった。
 平均値なんてデータ提供者の思惑通りにいくらでも操作できる。
 権力者どもは少しずつ少しずつ、この平均値を少なくしていった。当然国民達は減税達成が難しくなっていった。
 するとご先祖様達は何をしたか。なんと肉体を削ぎ落とし始めたのだ。
 無意識に俺は自分の腹を撫でた。もちろんそこには肉は無く、人皮を模したシリコン素材の人工肌を被せた金属ボディがあるだけだ。
 この世界の住人は、もう何代も前からこの身体が正常だ。正常で利口だと思い込まされていた。
 生まれたままの肉体を保持し続けるなんて税金の掛かることなんかできない。永遠の健康を手にして減税を狙った方が利口だ。生身のまま健康リスクに怯え続ける一生と、金属ボディで一生減税と、どちらかは選ぶまでも無い、と。

 
 その頃から、繁殖のための性行為も無くなり始めたと言われている。
 男は精子を、女は卵子を冷凍保存することを選択出来た。もちろん選択すると減税される。
 その後婚姻関係になったらそれらを受精させる。
 性行為などというリスクは誰も負わなくなっていた。
 2040年頃まではパートナー間の訴訟や殺傷事件などが毎年のように起き続けていたそうだ。今では考えられない。結婚相手のことを恨んだり殺したくなるほど激情するなんて。そこまで魂をたぎらせられたなんて。


 生命倫理について国家が管理してからは社会変革が早かったそうだ。
 国民は減税第一、合理化第一、という思考になっていった。
 今の俺からすると、本当にそれは思考と呼べるのか疑問だが、昨日まで、γアカリのあの投稿に魂を呼び起こされるまでは俺も奴らと同じだったんだ。

 肉体を捨て始めた国民は次に精神を捨て始めた。
 
 ピピピピピピピピコン

 精神を自分で管理するのは重大なリスクを伴う。
 いつ何がきっかけで精神が傷つくかわからない。精神が弱まるということは肉体も弱まる。
 元より、その時にはすでに多くの国民が身体の各パーツを機械化していたが。
 心が弱まると表情や顔の見た目年齢に関わる。
 2050年にはもう肉体や精神にまつわる課税の種類が約10,000種にまで増えていた。

 当時のベストセラーは『魂減税宣言 〜重税は魂由来が9割〜』だ。


 脳と腸にナノマイクロチップを埋め込む手術をすると電子マネー20,000ポイント分が付与された。
 当時に換算すると喫茶店でのアイスコーヒー1杯分に相当するポイントだ。

 国家は「あくまで健康データを集めるのが目的。ハッキング不可能。外部からチップに命令を送信することも不可能」と声高に喧伝し続けた。それを国民は信じた。疑問をSNSに投稿すると末代までの重課税であったし、その発言は誰の目にも届くことは無いので、ほぼ全ての国民がアイスコーヒー1杯と引き換えにナノマイクロチップを脳と腸に埋め込んだ。
 
 あとはもうご覧の通りだ。
 平和で平穏で、平板で、無味で、グロくて、監獄のようなこの世界が完成した。
 俺はその世界を幸せであるかのように振る舞うことを強制されながら生きてきた。
 この天国と思い込まされた監獄でだ。

 もうずっとピコンピコン鳴り続けている。
 脳からも腸からも。耳の奥からも。かつて男性器があった場所からも。
 鳴れば鳴るほど俺の怒りは赤く赤く燃え、限りなく白に近づく。

 体温が上昇して健康を損なう恐れがあります、ピコン


 γアカリの過去の投稿を読もうとSNSを開いたが、もうγアカリのアカウントは無くなっていた。
 俺は10分ほど文面を推敲し、こう投稿する。

「俺は絶対に魂を手放さない。抱きしめる。魂と肌とが1ミリの隙間も無いほど、べったりと。俺はこの、優しくて平和で温かくて平穏で。それゆえにつまらなく平板で、生きてる実感がみじんも芽生えないほど無味で。あからさまにグロくて、無間地獄のような監獄であるこの世界を、魂を掛けて赦さない」



 その後、俺の投稿はジョン・ストリャコフという名前のアカウントに拡散され、世界中を駆け巡った。通知が止まらず、友達から「ちょwwお前有名人じゃんw w w」という100年前のネットスラングを生まれて初めてもらった。

 その後すぐジョン・ストリャコフはアメリカ統一国家世界大統領に就任。世界が激変した。文字通り、何もかもが変わったのだ。

 ストリャコフ統一国家世界大統領は根っからの自然派で、名前はもちろん肉体も生まれたままの姿で、どのパーツも機械化していないし、何もデータベース化していない。
 
 ストリャコフが全世界に「魂データ化税」を設けたのと同時に、肉体や精神に関する無数に膨れ上がった課税の数々を一気に解消した。
 つまり魂をデータ化すると重課税となった。そして肉体を損なわなくても良いし、精神を管理されなくても良い世界となった。
 何を思っても良い。ピコンピコン鳴らない。
 何を投稿しても、何を表現しても良い世界になったのだ。
 
 身も心もロボット化した多くの国民達は、それに対し、いまだ何も感じない。

いいなと思ったら応援しよう!