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「元気の押し売り」が相当苦手

例えば、コンビニに入った時の
「いらっしゃいませーこんにちは〜」
の店員さんの元気な声に(自分店に入ったの、そっとしててくれよ〜)そんな事を思うし、それと共に、言われて少しうつぶせ気味になってしまう。そしてトイレだけだった場合でも店出る時「ありがとうございました~」と言われる事に(勘弁してくれよ)と、そくそくと足早に店を出る自分がいる。

はたまたガソリンスタンドに入った時の
「いらっしゃいませーー!!!」
ものすごい大きな店員さんの声。そんなに大きな声出さなくてもいいよ・・・。

んでもね、たぶんこういうのってその店の、あるいはその系列全体での「マニュアル」になってるんだろうな。それに乗っ取って、店員さんもしつけられているんじゃ。悪い、と言っているのではない。全部立派な事です。私が苦手だというだけ。

某ハンバーガーショップでの昔のCMで
「スマイル0円」
というのあったけど、自分からしたら「表面だけの、機械的な笑顔なんか、いらないよ」などとは思いながらも、その大きな「いらっしゃいませー」の声よりは、いいなと思ったり。いずれにしてもそうした事をされた事に「今日も頑張ろう」と思う人もいるのだろうかもしれないけれど。

そうした事より、更に最悪な状況だというものがある。それは「子供の学校の集まりでの、その特にお母さん方複数人の『バカ話』の輪の中にいる時。「アッハッハッハッハー」大声で笑って話している、その輪。(は、早く帰りたいよ~)と、自分は空気の存在と化す。

つまりは「元気の押し売りが苦手」正確に言えば「嫌い」という事なのだけれど。特に学校の集まりの話は、今考えても寒気がするほどのもの。

そんな性格の自分ではあるけれど、長年自分でやっているボランティアでの大勢の人の前では常に大きな声をあげるし、はたまたお酒飲みの時なんか「ものすごく面白いやつ」でいつも通っている(はず。まあ、仲間内のやつでね)。

元気を押し売りしてくるやつが苦手だけれど、でも歳と共にそうした事と「同化」するコツを覚えた事、はたまた「輪の中でおもしろいやつで通す」事を覚えていった事。それって考えればそのまま「太宰治(人間失格)」そのものなんじゃね?(笑)。あの本って私は何回も読んだけれど。

又吉直樹氏は「人間失格」を「聖書」と言ったし、今になっても大勢の人に読まれている本。なぜにこれほど読まれ続けているのか。それの大きな所ではやはり「自分自身で持ち合わせているその隠れた感情などに、みんな、共感する部分があるから」と言われています。

「コンビニで挨拶される事が苦手」「ガソリンスタンドでものすごく大きないらっしゃいませを言われるのが苦手」「子供の学校の、無駄過ぎるほど明るいお母さん方の輪の中にいる事が苦手」こうしたものに共感する方は、大勢いるのではないかと思う。これは私の書いたnote史上でも、かなり自信があります(笑)

ありがとうございます!