2024年をひたすら振り返ります。
何年か前に占い師から「32歳の歳に結婚する」と予言されたことがある。
2024年。32歳。
・・・特に大きな変化はない。
まだ32歳は4ヶ月残っているが。とくに足掻く気もない。
そんな2024年を1ヶ月ずつ振り返っていこうと思う。
長いので睡眠導入剤としてご活用ください。
【1月】
どうやら婚活をしていたようだ。
マッチングアプリに登録し何人かの男性にお会いした。
しかし結果は全敗。
原因は1000%わたしにある。
普段ラインやメールの返事は早いわたしだが
返事をほとんど返さなかった。
人見知りの自覚はあったがこんなところにも影響が出るとは。
かなり拗らせたかもしれない。
そもそも会ったこともない人と何を話せばいいかわからない。
職業、趣味、好きな食べ物、お酒、、、
話していくうちに職業柄か「これ、まるで、問診じゃね?」と思い出すと
もう仕事にしか感じなくなったのだ。
結果1ヶ月経たずしてアプリを消した。
【2月】
職場の中ではわたしが一番下だった。
また唯一の女だった。
先輩はみんな優しかったが、ほとんどの雑用がわたしの上に君臨した。
特に看護師さんからのちょっとした指示変更、処方などである。
先輩は優しい・・・とさっき言ったが看護師さん達とよくバトルしていた。
どちらも引かない。
逆にどうして大人がこんなに対立できるのかと疑問にすら思った。
大人になり損ねt・・これ以上はやめとく。
わたしは人の好き嫌いがあまりない。
というか他人にあまり興味ない。
そのためバトルしている先輩たちの横を素通りし
雑用を含む仕事を何の感情もなくこなしていた。
そのため「文句言わず依頼を引き受ける医者」の中に
カテゴライズされたのだろう。
多くの指示を変更した。
【3月】
地方会と呼ばれる学会があった。
近隣の脳外科医が集合し、珍しかった症例などを検討する会である。
あまり参加する気はなかったが
教授が「この症例!この会にいいと思う!」ってはしゃいで持ってきた、
その症例の主治医がわたしだった。
そのため自動的に発表するハメになった。
「(・・・ったく、よりによって・・・)」
スライドを作成し提出したが
添削され返ってきたスライドはまるで別物だった。
「(原型ない、、!これなら最初からオメーが作れよな)」
って思ったりはしていません、決して。
結果表彰された。
周囲から誉められたが、あのスライド、わたしが作った最初の原型ないっす。
【4月】
わたしは高校生のとき仲がいい4人グループに属していた。
その4人と10年ぶりくらいに会おうという話になった。
わたし以外の全員が結婚をしており、腹の中や腹の外に子供がいた。
1人は離婚調停をしようとしていた。
みんな人生経験のステージが違う。
やばい完全に乗り遅れた。
けど当時から予想はついていた。
高校生のとき何してたっけ・・・
当時の学力では到底及ばない医学部を志望校として提示したときの
担任の顔だけはいつでも思い出せる。
いやいや現実ちゃんと見なよ、どういうつもり?の顔。
「(浪人してでも受かったらアイツ一回殴り飛ばす)」
って思っていたが、
わたしも一応は大人になったのだろう、合格した時にはそんな気持ちは消えていた。
【5月】
働き方改革とは・・・?
月の3分の1当直をしていますが・・?
働き方改革が4月から本格的に始まった。
要は当直をしたら翌日は帰れるという決まりである。
・・・・・がしかし。
当直の中には
比較的眠れる「宿日直」という分類があり、
宿日直の場合は眠れているだろうということで翌日も働くことが法律で許されている。
病院が宿日直だと主張すると、夜働いたとて翌日も働くことになる。
どいつもこいつも宿日直と言いやがって。
おかげであまり家に帰れず色んな病院を渡り歩く日々となった。
【6月】
わたしにはお笑いという大切な趣味がある。
テレビだけではない、実際お笑いのライブを見に行ったり。
好きな芸人さんに関してはラジオまでもチェックする。
ファン同士でSNSで繋がったり充実した推し活をしている。
8月に仕事上重要な試験を控えて
さすがに今月までだと思い、1-2ヶ月に1回は行っていたお笑いライブをしばらくの間封印する決意をした。
一番行ったライブは早坂営業である。
ライブの後、グッズを購入すれば芸人さん達とハイタッチできる。
かなり貴重な機会。
しかしハイタッチする時も人見知りが出てしまい
「ありがとうございました」「応援しています」
などと消えいる声で今までは言っていた。
しかし今回は最後である。
もっと伝えたいことあるだろ自分。
「ラジオ・・・!聞いてます・・・」
これが人見知りの限界であった。
【7月】
試験1ヶ月前。
脳外科医7年目にとって大きな関門である専門医試験である。
他の科も6−7年目くらいにある。
どの科にも共通するが一人前と言われるためには専門医試験には受からなければならないとされる。
普段あまり関わらない同期の2人とこの1か月はずっと一緒にいた。
食事まで一緒にした。
うさぎとかめの話は有名だが
世の中には途中でサボらないうさぎもいるらしい。
早朝に職場にきて勉強して
誰よりも勉強が進んでいて
途中でサボることなくむしろ遅れているわたし達に教えてくれる
そんな恩人同期が1人。
もう一人は
覚えられない単語の羅列が出てくると
「ゴロ作ったんだよね〜」
と現れて、さらに覚えにくいゴロを披露し去っていく。
ゴロ覚えるのにさらに脳内のギガ食うやん。
って馬鹿にしてたが
試験中にあいつのゴロが浮かびまくる。
そのため、後にこいつも恩人同期となった。
【8月】
専門医試験一次試験。
その5日前に大きな花火大会があった。
今年夏を感じる唯一のイベント・・・見たい、見たすぎる。
毎年会場までお酒を片手に足を運ぶが今年は試験5日前である。
結果、職場から見る花火。
ドラマなどで残業しているOLが職場で花火を見るシーンなどを見たことあるが
こうなりたくないと本能的に思っていた。
しかしついに職場から栄養ドリンク片手に花火を見る日がきてしまった。
ん?・・・そもそも去年も当直と被ったっけ?
職場から見る花火は疲れた心に沁みるからか、
一層綺麗に見えてしまうということだけ伝えておきます。
【9月】
専門医試験二次試験。
筆記試験(マーク試験)の一次試験と違い、
二次試験は口頭試問であった。
偉い先生が2−3人いて
テーブルに模型があり
画面にMRI、CT画像が表示され
「診断は?鑑別は?じゃ、これ手術どうする?」
って口頭で聞かれる特殊な試験。
わたしはこれを苦手としていた。
覚えていても緊張で全部飛ぶ。
そもそも人前をあまり得意としない。
その目の前の人が偉い先生方と考えると尚更。
・・・これが心臓が口から出そうになる感覚・・・
あ、これ心臓を吐くかもって初めて思った。
【10月】
人事異動となった。
おおむね4月か10月に人事がガラッと変わる。
8月に医局長から呼び出された。
「○○か□□を考えているけど・・」
・・・2択!?
どちらも行ったことある病院だった。
片方は一番きつかった病院、もう片方は一番楽しかった病院。
あーこれが天国か地獄かってやつか。
嫌な2択だなー。
これ自分で天国もぎ取ると変な落とし穴とかあるやつか。
「どっちでもいいです」
あー言っちゃった、地獄になったらどうすんの本当に。
結果、天国の方になった。
もう一人、同じ選択肢を突きつけられた先輩がいた。
その先輩はどちらの病院も経験していない。
だからなのか、天国は遠いから引っ越しが大変。という理由で地獄を選んだようだ。
天国は島だった。
【11月】
異動して1ヶ月。
異動後から当直がなくなり、「何かあったら呼びますよ〜」のオンコール体制となった。
とりあえず家に帰れるという喜び。
しかし自分の時間できたけど何すればいいんだ?
・・・キックボクシングを始めた。
不規則な生活で増量していたことが気になっていた。
楽しい、、楽しすぎる!
ダイエットというよりストレス発散じゃねぇか!
今までの色んなことをパンチキックで浄化している感覚。
え、浄化したいこと多すぎじゃね・・・?
溜めてたのか色々。浄化したいことが次々あふれる。
ちなみにパンチとキックは強くなったと褒められたが
まだ痩せてはいない。
【12月】
年1度、同門会という会がある。
当大学医局の旧・現役脳神経外科医が集合する
いわゆるOBOG会。
OBOG=Old boy、Old girlのことだが
少しOldが過ぎる。
70-80代が多く集合する。
そんな会で今の病院の近況報告と
試験合格の報告を行うために参加してきた。
前述通り人前での発表、挨拶が苦手なわたし。
ガチガチに原稿を固めて挑んだ。
6分の時間を頂いていたところ早口すぎたのか3分で終わってしまった。
あ、やばい、短すぎたかも。
後の懇親会で
医局長「時間が押してたから、短く発表してくれたんだよね、ありがとね。」
・・・ちがいます。時間が巻いてても3分です、医局長。
【終わりに】
ここまで読んでも眠らなかったあなたは不眠症・・・うそです。
どうでもいい脳外科医の1年を読んで頂いてありがとうございました。
もっと医者やってんだから健康に役立つこと書けよって思った方いたと思います。
というか、わたしなら思います。
あまり専門的な語りが苦手なのでこれからもそういうことは書かないと思います。
ただ文章力を上げたい一心で気まぐれに更新いたしますのでよろしくお願い致します。