『寓』 うらばなし
『寓』についての裏話や終演までを脚本・演出の視点からお話ししようと思います。
まず、ご来場いただきました皆様、ありがとうございました。そして関わり支えてくださった皆様、ありがとうございました。皆様のおかげで最後までやり切ることができました。御礼申し上げます。
『寓』という作品、構想は今年の2月頃からありました。締切は4月上旬、初稿は3月に完成しておりました。で、実際に上演したのは7.5稿。台本あげたのが5月末。ちゃんと締切破りながらやっていました。みんな本当に申し訳ない。作品をよくすることに、終わりなんてやっぱりないんですね。7稿の後にもちょっとずつ変更を重ねて7.5。初稿から見るともう本当に全く違うもの。少しずつ少しずつ変えていって、さながらテセウスの船でした。しかし私は、全部同じ『寓』だと思っています。
台本が遅かったのもあり、作る上での道のりは本当に大変でした。誰もまだ経験していない母というものに、真摯に向き合い続けてくれた田中さん。寓という概念を具現化し、その魅力をさらに引き出してくれた佐藤さん。娘という役を通して『寓』の世界に色を与えてくれた宇野さん。ありがとう。本来の形で上演できなかったことは悔やまれますが、ここまで一緒に作り上げてきてくれたこと。本当に感謝しています。いつかまた、やりましょう。
彼女らは本当にいい役者なんですよ。
田中さんはまず一年生とは思えない。高校からではありますが、マイムが恐ろしいくらい丁寧ですごい。個人的な意見ですが、小道具を扱うようなマイムは結構やりやすいと思ってて、でも大道具を扱うようなマイムはむずい。する側がきちんとそこに見えていなければ、綺麗に見えないんですよね。動くはずのないものが動いてしまったり、位置がずれてしまったり。「同じ位置で同じことをやる」。私はめちゃくちゃ苦手ですね。体幹も弱いのでついついぐらついてしまうし、動きが雑になりがち。一つ一つ丁寧に表現できる力は、本当に素晴らしい。母という役との向き合い方もとても真摯で、一緒にできて光栄でした。
佐藤さんは上手いんですよ。彼女も高校からで、そして二年生。一年間ほど一緒にやっていましたが、上手いんですよ。どう上手いかっていうのが私は今まで言語化できないでいました(作演出として致命的ですね)。最近たった一つの仮説は、「感性が良い」のではないか、というものです。彼女の演技を見ていて、演技に嫌な違和感が一切なく、むしろ引き込まれる。自然に存在しながら、存在感がある。とても魅力的な人だなと感じています。それは物語を感じ、彼女の方法でそれを表現しているからではないかと思います。彼女の演技は、劇の魅力をさらに引き出してくれると思っています。
宇野さんの演技を皆様にお届けできなかったこと、非常に残念でした。彼女もめちゃくちゃいいんです。彼女は彼女にしかない演技をします。唯一無二です。その様子はいずれどこかで。
とにかくこの三人の役者とできて本当に良かったです。
『寓』という概念を共有すること。これが一番大変でした。「寓」はこの劇特有のものであり、そして根幹をなす部分です。『寓』という作品の大部分が、「寓」という特殊な場での出来事です。あと登場人物(?)の中にも寓と名のつくものがいます。ややこしいんで役としての寓は寓ちゃんと呼んでました。かわいい。この寓そして寓ちゃんが実際なんだったのか、というところ。
答えはありません。
これはただなんとなく作っていたためということではありません。演劇と一緒です。不正解らしきもの、正解らしきものがあるだけで、答えはないのです。もちろん作る上で想定していたものはありますが、そんなものはもはや一解釈でしかありません。そしてわざわざそれを言うこともなんだか違うような気がしてます。いろんな人が、「寓」というものを認識して、それが全て正解だし不正解なのでしょう。
これは母や娘の言動に対してもそうです。何を感じられても結構。もちろん演出として伝えたかったことはあります。きっと、そのたくさんの可能性の中から、なにに向かって、どのように表現していくかというのが、演出の仕事ではないかと、私は思います。しかし伝えたいことが伝えられないのは作演出の力量の故。それか相性。前者は今後に期待しておいてください。後者はそういうこともあるのでそういうもんかということにしましょう。
この劇を通して、改めて演劇の難しさ、楽しさを知りました。いろんな人がいるってことも知りました。一つ成長した気がします。だから私は全てに感謝しています。ありがとうございます。
長くなってしまいました。寓編はこれで終わりです。
次は『愛してDISTANCE』編です。