ヒエラルキーをつくりがちな経営者しかいないのに自律分散協調型の経済団体にみる、そのコミュニティ形成要因(後編)

「守成クラブ飯田」ってのに所属して8年やったら、自立分散型のコミュニティ形成に予期せず立ち会うことになりまして、その前編の続きになります。前編はこちら↓

さて、どうして「守成クラブ飯田」が自律分散協調型となったのか、その要因を勝手ながら考察してみたところ、以下のものが考えつきました。

・経営者のみの集まりであること
・初代O代表のキャラクター
・「自分たちのために」という考え
・無償であること
・団体の社会的ステータスが皆無
・運営方法が未知であること


ひとつひとつを解説するほど深いものを書いているわけではないので、ざっと書いておしまいにします。これでも世の一部の方には役立っているようなのと、わたしたちもこのテーマは模索の途にありまして、このnoteを綴る意図はそこにあります。

わたしが考える要因は以下のとおりであります。

経営者の多くは自己主張が激しく、ヒエラルキーの頂を形成する際に血気盛んになりがちなところ、初代代表のO社長のほわっとした優しさに皆がその剣を下げた。

私の知るところ、O社長は錚々たる地元経済団体の長を務めてこられた方で、市井では前回の市長選挙で立候補を嘱望される声がたくさん聞かれたほど。とにかく人柄が惚れ惚れする方なのです。

その方を前にして争いごとが起こりにくかったのかもしれません。なお、その後に続く代表も同じ傾向にあります。



また、ヒエラルキーを形成するにあたっては、いくらかの争いが生じるものですが、この団体自体の目標である商談の場づくりは「自分たちのために」というシンプルな考えに至り、

「自分たちのために」を考えたら、競うよりも協調

ということになるのは自然なことかもです。



さらには、無償の勝利というか、何か不具合があっても、それは先述の「営利の土台」に向かうべきで、飯田会場の皆さんが争うことではないと考えるのが常識的です。

そして、そもそも地元には有名で歴史ある経済団体がいくつかあり、多くの参加者は経営者としてそれらの団体に何らか所属しています。O社長も過去にはそれらの団体の長でもあったわけですが、そうした団体に比べて、この守成クラブ飯田など、

地元経営者にとってはステータスが感じられない上に無償でおこなうという、争うまでもない団体

なのです(ちょっと言い過ぎですが、8年やってきたのでこれぐらいはお許しください)。


運営方法すら会場丸投げで、こんな団体あるの?という感じです。これまで経験してきたのは、しっかりとしたバックがあって、中にはプロパーが運営を担っていたりするものもあるぐらい。

その点、この団体は遠すぎる「北の人たち」が運営で、一度も会ったこともない上、「自分たちのマーケットは自分たちでつくる」と言ってくるわけで、ようは自分たちで好きにやれ、と丸投げしているようにしか感じられません(と思うときもあります)。



未知の運営方法。

これはよく言えば縛りがなくて自由なのですが、担う人たちからすれば無償でしかも手探りしないといけないわけです。こうなってくると、誰が上とか下とかやっているよりも、気がついた人が動いた方が合理的。ですから、

「あの(大きな会社の)社長さんが、え?受付やるの?」

みたいなこともあって、なんだか不思議な集まりです。みなさん経営者なのに(笑)、いや経営者の集まりだからできたのかもしれません。

こうして年齢も肩書きも会社の規模も、運営上は関係なく、「自分たちの・・・」と8年もやってきた結果、自律分散となったのではないでしょうか。

もちろん、そういう文化に与しない方は辞めていかれたことでしょうし、それでもやろうかなって方が残ったので、いっそう自律分散にコミットする方の割合が増えて、こうなると共同幻想理論で、本来はマイノリティーの自律分散側がこの団体の文化の柱となったのかもしれません。


わたしとしては予期せず、自律分散協調型のコミュニティがみられてとても勉強になっています。要因を分析して再現するための材料にならないかと嬉々として、もちろん、骨を折ってますよ、自分たちのために。

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