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価値観の多様化に軋む組織こそ最先端??組織の弱体化を時代背景から考察してみた

飯田商工会議所青年部。現在、わたしは歴史ある組織の副会長という立場ですが、なぜこの弱輩がたいそうな役付きになっているかといえば、つまりは人材不足、この一言に尽きるわけです。

決して謙遜などではなく、今、青年部が衰退傾向にあることは先輩諸氏も含めた我々の見解として否めない事実なのです。

(なお、決してこの記事は青年部をディスるのが目的ではありません。わたしは青年部には愛着もありますし、お世話になっている皆さんにとても感謝しています。)


組織が健全に維持されるかどうかは「大多数を占める構成員の『利に供する活動』があるかどうか」に掛かっていると思っています。たとえば会社ならお金儲けして報酬もらうとか、慈善団体なら社会貢献性だとか、単純でも良いので、とにかく集う人の利に供すればこそ、安定して継続するというものです。

ここで問題なのは「構成員の利」とは何か?ということ。

そう、かつての世の中のようにシンプルであれば、比較的容易にそれを見出せると思いますが、こう複雑な世の中にあっては中々難しくなっているように思うのです。

(ここで「いつの時代だって複雑だよ」というツッコミはまたの機会に考察したいところですが、たぶん、世の中はかつてほどシンプルじゃなくなっている・・・と、わたしは思っています。)

このような時代の組織って、相当考えないと維持が難しい。何しろ「人を結びつけるもの=価値」が多様化してしまっているのですから。組織のあり方をどこに充てていったら良いものやら迷ってしまいます。

「わたしはコレが良いと思う」「自分はアレだ」・・・口には出さずとも、みんなが抱えている様々な価値感を組織に求めている状況。

・・・いや、もはや「求めてすらいない」かもしれない・・・。

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「なくてもなんとかなる」組織は惰性で延命中?

もっとも、人口というか母数が大きければ、ただひとつの価値のみを掲げて絞っても、そこそこの数の人にコミットする筈なので一定のボリューム感をもって存続できてしまいます。

わたしの住む長野県飯田市でさえその数10万人。母数は決して少ないということはなく、そんなにストイックに考えなくてもいくらかは維持できるとは思います。

それは、あたかも惰性で動いているような組織。(これを「過去からの惰性」と呼ぶことにしよう。)

ただ、これが逆に危うさを醸成してしまう。

組織の弱体化という問題に真に向き合う機会を失ったまま、組織崩壊寸前まで過去からの惰性で進んでしまうことが危惧されます。

なんだか虫歯みたいです。

ちなみに組織崩壊とは。それはふとした瞬間に訪れます。気の迷いというか、構成する人たちの心にそんな魔が刺した時に。これぞ共同幻想がもたらす負の力。

「なくてもなんとかなる」などという組織は、実はかなり危うい境界線上にいるというわけです。

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・・・というようなことから、今の時代には「多様な価値観に基づいた組織運営」が最適解かと思うのです。

しかし、これを突き詰めると、もはや「組織」ではないようにも思えるのです。

価値観が多様化した組織って一体なんだろう。
それはかなり矛盾しているように思えます。
会社が利益を追求しつつ、利益を追求しないとか??・・・意味不明だ。

このことをどう考えるかですが、まずは矛盾を矛盾として受け入れることにしてみました。これがわたしたち「株式会社週休いつか」の8年の試行錯誤です。

そうしたら、今では(矛盾を保ったまま)いくらか実現可能性があるのではないかと思うに至ったと、そういうわけです。

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ポイントは「明確な答えを孕まない在り方」

答えがないという状況は、つまり、矛盾した状態が保たれるということ。
そんな組織の仕組み。

例えば・・・
「今日はね、お金儲けをしようかな」
「明日はね、お金を市中に配っちゃおうかな」
・・・みたいな。

「身を削ってやってやるぜ」「もう何日家に帰ってないね」
「いやいや、家族一番」「極力お家から出たくないよね」
・・・という真逆の社員が混在する「週休いつか」。

これは常々わたしたちが考えている「利他」と似ていて、「命を食って生きている人間が語る利他なんて利己だろう」みたいなものや、「利他は究極の利己」というような一種の禅問答みたいな話に近いなと思います。

答えがないような事は見渡せばあちらこちらに散らばっているわけですが、それを「素直に受け入れる」という所作を、努めて望んで受けて入れているということ。カッコよく言えば、こんな感じです(たいしてカッコよくもないか)。わたしたちはついつい、過去の経験や常識に深く影響を受けてしまいますからね。意外と難関かも知れません。

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・・・ということで、まとめてみます。


組織が弱体してきたら、そこに「多くの構成員の利に供する活動があるかどうか」を検証し、もしそこに「価値観の多様化に起因した『利』の複雑化」がみて取れたら、決して過去のセオリー(たとえば「構成員全てに当事者意識を芽生させる」とか)には勇気を持って従わず、

「みんな違ってていい」
「その状態でいい」

とまずは多様な価値を認めることから始まり、

「・・・ところで、今度こんなことやるけど手伝って!」

・・・てな具合に巻き込んでいきます。

それぞれの価値観に添いながら、目標に向かう運営をすることで、その組織全体を良い結果に導くというプロセスです。

これは「まあ、みんなやりたいことやって生きましょう。」・・・って勝手な話にも見えます。しかし、よく目を凝らしてみれば「結局、みんな手を貸してるじゃん」というような状態になっているところがポイントです。

組織は瓦解しても、目標(例えば社会課題とか)は消えるわけではないですよね。結局のところ、その目標が満たされれば良いわけです。

よって、個々人が右ならえと揃うことは重要ではなく、その時々の課題を必要に応じて集まり解決する、そんな組織で良いのかもしれません。もちろん、下手な拘束や細かな規則などは不似合いです。

さあ、こんなことを考えている「株式会社週休いつか」にピンと来た方はどうぞコンタクトを。学生さんはインターンシップも大歓迎。ここで新しい働き方、組織づくりを研究してみませんか?

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