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言語化して自分の中で理解できることの大切さ

どーも、さかきです。

どうやらTwitterに制限をかけられたことで、ほんの少しだけTwitter熱がさがってしまったらしい。もしくは、制限をかけられた人が何人かいて、その人たちがもしかするといい仕事をしていたのかもしれない。

そんなこんなで、あまりTwitterに居座ることを良きとしない感覚に陥ってしまってるいま、やるべきことはきっとアウトプット。

「言語化することの大切さ」

なにがどうモヤモヤするのか、

なにがどうしっくりこないのか、

洗いざらい言語化できるとわたしのモヤはひとつ晴れるのかもしれない。徹底的に向き合ってみよう。


正直人との距離感が難しい。

以前別のアカウントで、「いきなりタメ口使ってくる人は無理」みたいなのを、わりと尊敬してたフォロワー何千人も持ってる人がツイートしてて、それが多数なのか少数なのかは分からんけど、あー自分は他人とは全然違う感覚なんだな、ってことを思ったのね。


で、こう鍵垢内での物理的距離が近い人に会ってると、別に年齢とか性別とか、どうでもよくない?って私はなるのね。


けど、たぶんならない人もいるよね?

その距離感をいちいち測るのが面倒に感じた。


綺麗な言葉ばっかり、ポジティブな言葉ばっかり並んでるのも正直しんどい。そう考えられない・そう思えない自分がダメなような気がしてきちゃう。


圧倒的に自信や自己肯定感が少ない。かと言って、行動してないわけではなくて、それなりに仕事もやってて、大事にされてる気がしてるけど、自分の中での比率の高さは桁違いに「家事育児」だ。


家事育児における自信がない。そして、家事育児における自信をつけたいとも思ってもいないのに、世の中は家事育児スキルがあって然るべきのような風潮を感じる。


そこじゃないことをやりたいのに、やれないジレンマ。そして鍵垢のみんなはそんな中でもやってたりすることのできるすごい人が多い。それが時々しんどくなる。

表のアカウントもそうだ。ママブロガーみたいな人といっぱい繋がってて、みんなそれぞれに結果を出していた。


もうなんか、ありのまま・そのまんまで一旦受け入れてくれる人が周りに居てほしい。そう願うのだ。


ありのまま吐き出していくから、無理だと思ったらそっとミュートにしてくれるかな…いや…リプして返ってこないのは切ないからブロックかな…


とか考えるとやっぱりある程度しか吐き出せないのがSNSなのかなぁ。


わたしを

わたしのまま

受け入れてくれる人と

過ごしたい。な。


あんまり言語化しっくりきてはないけど、いまの感覚を残しておくよ。また今度から掘り下げよ。

しーゆーぐっない!おしまい!




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