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俺は……Kiite Cafeの住人にはなれない……と思いながら、今日もKiite Cafeにいる。
こんばんは。年度末にかけてちょっと忙しかったさかじょんです。弊社にも新入社員が入ってきました。いいものだ。
さて、今回はお気持ち文書 of ちょっと初音ミクです。
Kiite Cafeとは
Kiite Cafeは、Kiiteというボカロリスナー御用達サービスの中にある、「ボカロ曲垂れ流しWebサイト」みたいな感じのものです。
Kiite Cafeに関して散々引用されていることと思いますが、ギザさんの以下の記事を読んでいただければ、概ねの機能や使い方は分かると思います。
はじめに述べておきたいことですが、私はKiiteおよびKiite Cafeのことをとっっっても素晴らしいサービスだと思っています。私もたくさん使っていますし、多くの曲にこれらサービスを通して出会ってきました。
でも、私はKiite Cafeという空間に帰属意識を持って、コミュニティのような感覚を抱いているのかというと、そうではないなと結構しっかり思います。これは、それってなんでなんだろうっていうお気持ち文書です。
かつて、Nsenというコミュニティがあった
私が中学生~大学生の頃、ニコニコの中に「Nsen」という生放送がありました。1日のうち、23時間30分の間、ニコニコ動画に投稿されている各ジャンルの動画がひたすら流れ続ける生放送です。チャンネル01がボカロチャンネルでした。
Nsenについては、私の自己紹介記事にも少し書いたほか、昨年末に発刊しましたニコ厨合同誌にも思い出を綴った1pを寄稿させていただきました。
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— ももつきゆきや🍑超クリエイターX(クロス) (@yukiyalien) March 12, 2023
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Nsenは私にとって間違いなく「コミュニティ」でした。ボカロ曲をきっかけとしつつ、そこでは様々な独自文化と井戸端会議が繰り広げられていました。
ボカロ曲は常に流れているので、そこに「ある」し、もちろん曲の話をすることもたくさんありましたが、ボカロ曲が「ある」ところに、似ている趣味を持っているいろいろな人が集まっている、そんな感覚でした。
私にとって、その距離感は非常に丁度良いなと思っていました。顔も見たことがないし、性別や年齢もぼんやりとしか分からないけど、みんななんとなくボカロのことが好きで、いろんなことをしていて、いろんな人がゆるくおしゃべりしている、そんな感じなのがNsenでした。
そのゆるさが、10年ほど経った今でも、Nsen民としてのつながりをふんわり切らずにいる背景なのかもしれません(つい先月もNsen民と一緒に飲んだりコーヒーフェスに行ったりしました笑)。
まあ~センチメンタルにそんなことを言ってもNsenはもうありませんし、別に今となって戻ってきてほしいともそんなに思いません(たとえ今Nsenが復活しても、かつてとは違う空間になるのでしょうし)。
Kiite Cafeの価値とNsenの価値は違うと思う
さて、Nsenに深く浸っていた身として、Kiite CafeはNsenと方向性の異なるものだと思います。
というのも、Kiite Cafeはより「ボカロ曲が空間の中心にある」場所だと感じているからです。そこにいる人は、同じボカロ曲を聴き、1つのボカロ曲に関して吹き出しで感想を言い合うことができます。これは一種の「お手軽なライブ体験」です。人々は、曲を聴くためにKiite Cafeに来て、曲に関する感情・感覚をシェアします。
一方、Nsenはボカロ曲とコメントが同じくらいの比率で存在する空間でした。これは、コメントの表示形式にもよるものだと思います(Nsenは生放送なので、普通のニコ動のコメントみたいな感じでコメントが流れますし、コメントビューアで経時的な履歴を眺めることができます)。コメントの存在感、履歴性により、(必ずしもボカロの話題に限らない)コミュニケーションが起こりやすかったのだと思います。喩えれば、ボカロ曲が常に流れている「ボカロリスナー部」の部室みたいなもんです。部室って、今日食べた昼ご飯とか、昨日見たゲーム実況の話とかもするじゃないですか。
これは、どちらがいいという話ではありません。それぞれのサービスに方向性と良さがあり、私はNsenが好きだったというだけの話です。
ボカロと私の距離感
先ほど、Kiite Cafeの空間を「お手軽なライブ空間」と喩えました。以前の記事で、私はボカロのライブに行ったことがないという話をしたのですが、私はKiite Cafeにおいても同じような感覚を持っています。
ボカロのことは好きだし、ボカロが好きな人のことも好きなのですが、「ボカロが好きな人がたくさん集まって、今まさに流れている1つの曲に対して、一体となって楽しむ」ということが、個人的にあまり得意ではなさそうです。
もちろん、それこそがライブの価値であり、重要な体験であることは重々承知しています。でも私は、「みんなと一緒に」「1つの初音ミク」に熱狂するということを、今のところ自分の初音ミクの享受の在り方としてそれほど重要なものと思っていません。それは私の初音ミクとの向き合い方の問題なので、ある程度仕方ないことかと思っています。
(中略)
結局のところ、私はボカロが私の心の中に勢いよく踏み込んで来ないでいてくれているような、つかず離れずの距離感に心地よさを感じていて、それ以上に「まるで肉感があるかのように存在するボカロに近寄る」ことや、「ライブに来るほどボカロが好きな人間と一体となって楽しむ」ことに、ちょっとだけ引け目を感じているということなのかもしれませんね。
これと似た感覚を、Kiite Cafeで絶叫し盛り上がる皆さんを見ていると抱きます。ボカロで盛り上がれるの、素敵だな、いいなって思いながら、自分はその熱狂の中に身を置きたいかというと、そんなにそうでもないかな~って思います。なので、最近はあんまり誕生祭イベントとかにも参加してません。
こう書くと私、かなり卑屈ですね……笑
ただ、ボカコレみたいなお祭りを自分のペースで歩き回る(聴いて回る)のは好きですし、なんでもいつでもちょっと離れたところで熱狂に冷ややかな視線を向けているみたいな人だとは思わないで~~~~ください!
おわりです
繰り返しになりますが、Kiite Cafeはとても素晴らしいサービスです。今日も私は新しいボカロ曲との偶然の出会いを求めて、この記事を書きながらもKiite Cafeで曲を聴き続けています。
今のところ、私はKiite Cafeにそれ以上のことをほぼ求めていません。それは、私にとってのコミュニティとしてハマりが良いわけではないという点と、私とボカロの心地よい距離感に浸っていたいという気持ちによるものです。それは良い悪いではなく、嗜好の問題です。
そんな風に思いながら、私は今日もボカロを聴くのでした。もし共感いただける人が1人でもいれば、この記事を書いた甲斐もあるというものです。皆様もKiiteおよびKiite Cafeをご活用いただきつつ、良きボカロライフを。
最後まで読んでいただきありがとうございました。ではでは。
スペシャルサンクス
本記事を書く際に、(内容的にはほとんど関係がないのですが)勝手にyodaiさんのこちらの記事に勇気をもらったような気がしています。
(yodaiさん、いつも読んでくれてありがとうございます……)
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