「意味がわかりそうでわからないけどなんかわかる歌詞」好き好き大好き~
こんばんは。繁忙期が盛んなさかじょんです(さかんなさかじょん)。気づけばもう月末だし記事書かないといけない時期になっててビビってます。
「書かないといけない」って義務感で書いてんの?って思われるかもしれませんが、割とその側面はありますヨ。そうでもしないと(もうすぐ)3年も書き続けられません。また読んでくだすった皆様、ありがとうございます。
今回は初音ミクの話です。お前はいつもそうだ。誰お前を愛さない。
「わかりやすくない」も良いけど「わかりそうでわからないけど何かわかる」も良いよね
以前、「わかりやすくないボカロ曲(歌詞)」に焦点を当てて記事を書いたことがありました。
もともと、ボカロ曲はその制約の(相対的な)少なさから、比較的自由にクリエイターの発露が見えるという話はしていましたが、「わかりやすくない」がやりやすいのも、そんな風土があるのかもしれません。
まぁそれはそれとして、今回は「わかりやすくない」ではなく「わかりそうでわからないけどなんかわかる」の話です。どういうことやねん。まぁ例えばこういうのが好きだよって話です。
①「アヲ」(かしこ。さん/2023年)
「なりたいもの」への距離感と、落としどころの表現にリアリティがあっていいな〜って思います。何かわからないけれど、人によってそれぞれの「(なれない)なりたいもの」があって、「なっちゃいけないもの」があるんだろうなぁ。
②「若年性」(ゆまめあねさん/2023年)
これ個人的にマジで共感したんですが、大抵のことって解釈次第でもうちょっと増えるんですよね。もうちょっと増えるからといって、2つの違和感が3つになる(1つ増える)わけでもなく、「もうちょっと増える」のがまた曖昧で良いです。そっちの方が混然とした私の世界には即している気もして。
③「どうせ、狂った世の中だ。」(sabioさん/2024年)
元気で正直で大好きな曲です。比較的「わかりやすい」よりなのですが、「歴史なんて暮らしの延長だ」がかなり好きなフレーズです。そうだよな〜て思います。今日と昨日いう暮らしがあって、その遥か延長線上に歴史がいつの間にかできているような。
「わかりそうでわからないけどなんかわかる」の隙間
全体的にこんな感じの歌詞は「詩」に近いなぁと思います。いわゆる「普通の文章」では読者に「おっ」と思わせることができません。詩はそこをズラすことで、何らかの違和感から読者の注意をひきます。でも「わからない」と「伝わらない」わけですから、その隙間の大きさは筆者の手腕となりますし、その隙間を越えられるかは読者の受け取る姿勢にも依ります。
「わかりそうでわからないけどなんかわかる」にある隙間を越えられるとき、なんとなくうれしい気持ちになることがあってもいいですよね。(詩もまたそうですが)ボカロ曲はいろんな人が作っているので、いろんな隙間があるかと思います。そんな隙間をぴょんぴょん飛び回って、それぞれの詩に悦になるのも一つの楽しみ方なのではないでしょうか。
おわりです
皆さんには皆さんの「わかりそうでわからないけどなんかわかる」があるとうれしいです。なんかわかるからおもしろいし、それは普通の文学や言葉遣いに関してもそうなんだけど、ボカロ曲に関してもそうだよねってことでした。
ボカロ曲はそういう発露がたくさんあると思います。私はあまり歌詞を重視しないタイプのリスナーではあるのですが、それでもなお時々ふわっと逆撫でされる歌詞があります。そんな日々を送っていきたいものです。
今月も読んでいただきありがとうございました。いろんなことがあるけれど、そんないろんなことにあまり影響されなさそうに思える合成音声があってくれてよかったなって思います。ではでは。