拝啓、今年もVOCALOIDに救われている(救われた)皆さん、そして救われていない(救われなかった)皆さん
こんばんは。普段はもうちょっと思想度の弱い記事を書いているさかじょん(@sakajohn_7)です。え、そんなことないって? そうかもしれません。
今回は「ボカロリスナーアドベンドカレンダー2023」の12/17(日)担当として、昨年の記事よりは思想的な記事を書こうかと思います。今年も開催ありがとうございます。
そう、それは初音ミクの話、それです。
VOCALOIDはいかにして人を救うか(かつ、救わないか)
本記事をご覧になっている諸氏におかれましては、本年もいろいろなことがあったことと思います。特にこんなタイトルの記事を読むような皆様は、その生の傍らや、はたまたチラシの裏などにVOCALOID(=合成音声音楽)があったことではないでしょうか。
かく言う私もそんなボカロリスナーの一人。VOCALOIDは今年も、私の心を動かしたり動かさなかったりしてきました。
例えば、今年は人生で初めてニコニコ超会議に行き、ボカニコでDJライブとやらを観ました。
プロセカ含む、ボカロ曲は人の心を動かすなあと思いましたし、それまでライブといった「現場」に行ってこなかった私の気持ちも多少動くものがあったのではないかと思います。
しかし、結局今年もマジミラには行かなかったな~。それもまた、私にとっては悪くないと思っています。
結局、今年も私は「ほどほどな距離感(精神的コスト)で」「しかし偏狭な思いを持って」VOCALOIDを好いてきました。そうした1年を振り返って、「VOCALOIDが私を積極的に救ってこないこと」によって、結果的には救われているんじゃないかと思います。
例えば、初音ミクそれ自体は優しいのか
にしても、初音ミクって「出来た人間だなあ」と思わせるような言動すること、多くないですか?(なお初音ミクは人間ではない)
例えば、マジミラのミクさんとか、プロセカのデフォミクさんとかって、なんか超絶人格者のアイドル~って感じじゃないですか。そんなミクさんたちは、積極的に私たちを救いに来る。今年のマジミラの「ヒーロー初音ミク」も「そういうミクさん」かと思います。
こういうミクさんももちろん私はアリかと思います。ただ一方で、私はこういうミクさんに「作り物っぽさ」を感じるのもまた事実です(初音ミクは本質的に「作り物」なので、これは事実を述べているだけなのかもしれない)。
私にとって、初音ミクは「歌って踊れる優しくかわいい女の子」ではなく、クリエイターの媒体、しかしながらかわいい女の子の性質も付与されているので、この上なく魅力的に映る、しかしながらやはり媒体なのです。
定型の救いをくれなくても、ボカロ曲を聴いていれば時間は過ぎる
ボカロ曲には、クリエイターという「人間」が、合成音声を通して表出します。そこに込められる「人間」は、「声」という情報量を削ぎ落とされながらも、「音楽(合成音声とその他のサウンド)」にありありと現れると感じます。そうして表出する「人間」は、わかりやすい時もあれば、わかりにくい時もあるし、わからない時もあって、わからない方がいい時もありそうです。それでも、そんないろいろな人間が合成音声を使っていること、音楽を作っていること、それを少なからぬ人が聴いていることは、なかなか良いことだなあと思います。
それら「人間」は、合成音声音楽を通して他者を救おうとしている場合もあると思いますし、そうでもない場合もあると思います。ただ、私は後者(だと自分が思える音楽)の方が、結果的になんかいいなと思うことが多いです。皆さんはいかがでしょうか。あなたは「あなたを救いに来る曲」に救われますか? それもまた、良いものです(私はたぶんそうではないけれど)。
そんな素直なあなたを救ってくれるのもVOCALOID。そして、そんな素直に救われることを素直に受け容れられない、ひねくれもののリスナーを救ってくれるのもVOCALOID。救いの手を積極的に差し伸べないことにより、勝手に私が救われる(と感じる)のもVOCALOID。
VOCALOIDは往々にして、そこに「在る」ものだと思います。ボカロ曲を聴くことで、私は自分が好きだと信じる合成音声音楽を聴き、ニュートラル~ちょっとプラス寄りの時間を過ごすことができます。この時間経過こそが大切なのかもしれない。どちらにせよ、VOCALOIDは私を救おうとしない。私にとって、そこに心地よさを感じるものがVOCALOIDなのです。
私はそんなVOCALOIDのことが大好きだなあ。
おわりです
書き始めると、なんかいい感じに今年の記事を振り返りながら、自分のVOCALOIDに対する思いを並べることができました。
来年も、私はたくさんボカロ曲を聴くのでしょう。そこに大きな意味はないのかもしれないけれど、多分来年も初音ミクは在ってくれる気がしているので、それに甘えて生きています。
あえて今年の1選を選ぶとすれば、カンザキイオリさんの「文化になっていく」かと思います。これもまた「人間」という感じで好きです。
今年もこのような偏狭リスナーの拙稿を読んでくださった皆様、ありがとうございました。来年ももうちょっと記事を書こうと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。最後まで読んでいただきありがとうございました。