【第三十二話】本番半月前。やったほうがいいこと、やってはいけないこと|しがない勤め人、国立文楽劇場で藤娘を舞う
私には苦手なことがある。それは身づくろい。
究極にめんどくさがりなので、可能であれば生まれたままの姿で生きたい。
服を着れば洗濯しなくちゃいけないから、なるべく着替えたくない。
なので来世は服を着ないいきものに生まれかわりたい。
そうだねぇ、ネコがいいんじゃないかな?
でも彼らは始終ペロペロと毛繕いをしているなぁ。服を着なければ着ないでお手入れはしなきゃならないのか(絶望)
そんなわけで(どんなわけだ?)本番半月前、普段は野放しボディであるがそろそろ“グルーミング“もしなくてはなぁ・・・
よっこいせ、っと(重い腰をしぶしぶあげる)。
まずは顔のうぶ毛剃り。
うぶ毛を剃っておくと、白塗り(舞台用の化粧)のノリがよくなるらしい。
本番一週間前を目安に “ 理容室 “ に行く。
(理容師さんと美容師さん、業務内容が違うのね・・・)
顔と衿あし(首の後ろ)、背中の上1/3くらいまで剃ってもらう。
私のお世話になったお店では “ ブライダルシェービング “ というコースに相当した。ぶ、ぶ、ブライダル・・・
手〜ひじも白塗りするからついでに剃ってもらおうかな、と思って理容師さんにお願いしたら「それはできません」と言われてしまった。
法律で施術箇所が決まっているのかな?
まあここは自分で剃ろう。
(ちなみに利き手側の腕毛を剃るのは至難の業であった・・・)
こうしてうぶ毛ゼロのピッカピカの顔で伺った、本番前最後のお稽古日の雑談タイムのこと。
姉弟子Y姐さんは言った。
「え、毛剃りしなくちゃいけないの?私もう本番まで時間ないんで、しなくていいですよね、先生?」
(9時5時半のお気楽サラリーマンの私とは違って、Y姐さんは家業が本当にお忙しいのである)
「そうですねぇ、私も今回は忙しいので毛剃りはパスですねぇ〜」
え、お顔剃り、必須じゃなかったの?
まあ、ベストを尽くすに越したことはないから・・・
それから、爪のお手入れ。
とは言っても、普段は深爪ギリギリに切り込んでオシマイにしているのを半月程ガマンしてのばし、ヤスリで形を整えるだけである。
(これ、みんな普通にしている通常営業の “ 身だしなみ “ ではないか・・・?)
これはだれに言われたというわけではない。
おっしょはんの指先がすうっと長くきれいに見えるのはなんでかなー?
とお稽古のたびにガン見していた結果、
どうやら爪が長く、先をシュッとしたカタチに整えているからでは?
と思い至ったからである。
ちなみにこの仮説はある日、あっさり覆った。
「せんせー、爪を伸ばしておられるのはやっぱり指先が長くきれいに見えるようにですかー?」
「え?いや・・・これは・・・忙しくて切ってる余裕がなくて。」
バッチンバッチンバッチン・・・
おっしょはんはごく普通の爪切りでババババっと爪を切ってしまわれた。
その後も指先はスッと長く、動きは優雅なままであった。
やってはいけない身づくろいもある。
これは舞台出演歴十回超を誇る、大阪の美貌の姉弟子Wさんに教わった。
(Wさん、あんなふうに太陽みたいに内側からピッカーン!と常に輝いている人、生まれて初めて会ったなぁ〜)
あれは前回の舞台出演の時、大師匠(おっしょはんのおっしょはん)の稽古場にWさんとご一緒した日のことであった。
お稽古場からヨレヨレと退散、カフェで水分糖分を補給してようやくひとごこちついたところで、
わたしな、ありとあらゆる “ やったらあかんこと ” やらかしてんねん。
Wさんが切り出した。
椅子席ではあったがわたくし、気持ちは正座で拝聴する。
まずはね、前日の顔パック。
これするとツルツルになりすぎて白塗りがのらへんねん。化粧師さんにめっちゃ怒られたわ〜
あとはね、眉カット。
まゆげな、長くないと潰されへんねんな。(自前の眉は固いパテのようなものを塗った上に白塗りをして、なかったことにしてイチから描いてくれる)
これも怒られたな〜
Wねえさんはカラッとした笑顔でおっしゃった。
うわー、聞いてなかったらどっちもやってしまうところやったわ〜
あぶないあぶない。
少しのことにも、先達はあらまほしきことなり。
(続く)